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ミラノの日常 第2弾

50日前

 

来る5月13日より、ママ友であり、我がゴスペル•ガナリア隊のメンバーでもあるTakakoさんが、絵画の展覧会を開かれます。

 

非常に天然ナチュラル系な彼女で、私より若いわりに、実際は幾つなの?といったような音楽の趣味のジャンルは広く、それでいてプリンス大好き。原田真二大好き、とても面白い。

 

そしてまた、彼女の描く絵は、喜びや悲しみ、痛みや感動などが非常に繊細に描かれており、ご主人である建築家のかっちゃんパパが手がけるミラノの有名レストランでは、彼女の絵にもお目にかかれ、彼らの二人三脚ぶりを拝見できる。今回の展覧会も同様、かっちゃんパパ、大忙し!

 

 

5月13日 - 21日

2017-05 Takako - Ortolina: Incontro di due mondi diversi

Villa Casati - Cologno Monzese (MI)

Sala Roberto Crippa, Via Mazzini, 9 (M2 Cologno Centro)

月-金 16-19時、 土日10-12時、16ー19時

 

オープニングパーティー

5月13日(土)17時半より

 

 

オープニング、何が起きるかな?楽しみです。

在ミラノの方々、足を運んでみてください。

 

 

 

 

 

52日前

 

先日、3年前に書いた「母への思いと母の思い」と言うのを読み返してみた。

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11841245127.html

 

当時は、何かにつけて長女と喧嘩をしていたけれど、現在は次男と抗争中。長男は割合に静かだが、それでも何かと問題は多く心配事は尽きないが、それに加え、夫と長男との険悪な間に立ち余計に私は喜怒哀楽爆発中、毒を吐かずにいられない。母は強し。心身ともに強くなくっちゃやってられない、と実感する日々。

 

今年の母の日は5月14日。今週の日曜日。日頃のの苦労を労り、母への感謝を表すやで〜。

 

とはいえ、母には感謝している。自分が母になり、今、自分が経験しているような思いとは全く違ったとは思うが、今この状況にいる私を遠い日本から静かに見守っていてくれる母に感謝している。「よく頑張ってるわね」と言われるが、頑張るしかないのだから。

 

ところで、現在、沢尻エリカ主演•ドラマ「母になる」が放映中だが、様々な試練や葛藤を通し、よい母親とは?母親になるとは?を問うドラマ。けれど、ドラマオタクの割に、忙しくてまた見れていない状況。涙

http://www.ntv.co.jp/haha/

 

我が家の子供達は、皆3人とも自然分娩だったが、どのお産も陣痛から生まれて来るまでの瞬間、そしてその後のことも日記に事細かく記している。いずれ、子供達に残したいと思っているが、どのお産も”阿吽の呼吸”だったと記憶している。子供の心音は私の呼吸によって変わった。私がパニックになれば、子供の心音も早くなるものだった。落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ...はじめの二人は日本で出産。夫は間に合わず。次男に関してはミラノで立会い出産だが、いてもいなくてもあまり関係なかったな。(夫の方がパニクってたし。爆)そう、母との子の”阿吽の呼吸”。

 

「阿」は口を開いて発音することから「吐く息」という意味で、「吽」は口を閉じて発音することから「吸う息」という意味。それを合わせることを「阿吽の呼吸」というのだが、調べてみたら、お寺の山門にはよくある仁王像。片方の仁王像は口を大きく開け、もう片方は口をつむっている。前者が「阿形」、後者が「吽形」の仁王像と呼ばれているそうだ。阿形の仁王像は人が産まれる時、吽形の仁王像は人が亡くなるときの姿を表し、仁王門の間隔は人が生まれてから亡くなるまでの人生の長さが短いとことを示しているという。

 

また、「阿」はサンスクリットの十二母音の最初の音で、「吽」は最後の音であることから、密教では「万物の根源」の象徴とされている。

 

そして、余談だが、男の子は、「息子」。つまり「息」の子と書き、女の子はかつては「息女」と書いて”むすめ”と呼ばれていたという。呼吸の大切さを如実に語っている漢字だ。

 

本来は、母への感謝の日であるが、母は子供に対して、感謝もできる。なぜなら、子供に育てられているから。私を悩ませ、手がかかる子供ほど、私は人間として成長させられているんだなあ。

 

本来、子供はあまり好きではなかったが、親になって初めて親の大変さ・感謝の気持ちを強く持つようになり、これまでとは異なった価値観を持つようになった。子供達に感謝だね。

 

 

画像は、お友達が紙で作ったバラ。本物に見えるくらい素敵!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

53日前

 

 

今朝、我がパロッキア(教区教会)では、41人の小学4年生(9歳)が初聖体を受けた。そのうち、1人が洗礼を受けた。

 

児童生徒のカテキズモ(カトリック要理)は4年間行われるが、ここ数年、始まる学年が一年早まり小学校2年生(日本の小学1年生)から始まるようになった。2年目で初聖体、その2年後に堅信の儀を行う。以前長女がカテキズモに通っていた時は、4年間カテキズモを受けて、初めて初聖体と堅信の儀が受けられた。長女の場合は洗礼も含めて行われたが、最近はシステムが変わり、初聖体と同時に洗礼を受ける。

 

イタリアは人種の坩堝。宗教も様々だし、カトリック信者の教会離れもじわじわと進んでいる。たとえ、子供に洗礼を受けさせ、カテキズモも受け、初聖体、堅信を受けさせても、カテキズモが終了してしまえば、残念ながら、はい、さようなら、という家庭も多い。

 

また、家族に誰も信者がいないのに、子供の意思でカテキズモを受けているケースもあるが、保護者が協力し、ミサにあずからない限り、子供が信仰を持ち続けるというのは非常に難しいことだろう。友人にもそういう家庭があり、しかも、両親はまた乳児がいるにもかかわらず離婚する、しないと大騒ぎしており(会うたびご主人の愚痴を聞かされる)教会に足を運ぶことは皆無。あれじゃ厳しいな...と思う。とはいえ、我が家の場合も、長女、長男は徐々に教会から離れてしまっているが。

 

ところで、初聖体、堅信というと、親戚一同が着飾って集合するが、ミサ中に近況報告をしだす人たちも多く、本当に困りもの。かと思えば、ミサ中に出たり入ったり本当に鬱陶しい。初聖体を迎えても堅信まで続かない家庭もあるわけで、私たちは種まきはできても、育てるのは神様のお仕事。彼らのために祈らなければ...と思う。

 

さて、「初聖体」というと、パロッキアによっては、女の子は小さな花嫁みたいな白の衣装で髪の毛に花の髪飾りをつける子が多い中、我が家パロッキアはいたってシンプル。ミサのキリケット(侍者)が着るような白いチュニックで全員レンタルである。個人的にはそれが一番だと思う。

 

 

ミサは、入祭の前からロザリオの祈りから入ったせいか、騒ぐ人もいなく、目立つような態度を示す人もいなかった。「主の祈り」は我がパロッキアでは両隣の人と手をつないで祈りを捧げるが、司祭が初聖体を受ける子供たちにも、通路を挟んだ席同士も手を繋ぐよう促すと、徐々に後ろの列までが皆手をつなぎ始めた。それは、お御堂に小さな波が起きるように広がっていった。こんなことは初めてだ。少し、感動し胸が熱くなった。

 

「皆、これをとって食べなさい。これはあなたがたのために渡されるわたしの体。」「皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血。これを私の記念として行いなさい」

 

 

「初聖体」は字、そのもの。初めてご聖体を頂く日。親戚一同集まるお祝いの日。これからどれほど素晴らしい人生を生きていくか、神様の愛をしっかり食べ、味わい、今後も神様の愛を食べ続けられる喜びを分かち合う日。

 

初聖体を受けたお子さん方、おめでとう。そしてご家族の方々おめでとうございます。

 

イエスは小さなパンとなり霊的に私たちを養って下さる。栄養として、神の言葉が私たちの心に宿り霊的成長ができますように。

 

https://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11839042778.html

 

 

 

54日前

 

またもや、子供(長男)の親友が遠い空へと旅立ってしまった。自死だった。

享年17歳。...あまりにも早すぎる死。

最近、長男が見かけぬ上着を着ていたので、どうしたの?と聞いたら、最近仲が良くなった友人と洋服を交換したんだ、と言っていたが直接彼に会ったことはなかった。自死というと、どうしても、親の立場になってしまうが、居た堪れず、やりきれない。

 

いつも笑顔で明るかった。ただ彼女がちょっと前(実際の時期は知らない)にやはり自死(飛び降り)をしており、引きずっていたようだったという。後追いか?

 

新聞に出ているか?と思い、検索してみたが、見つけることはできなかったが、17,8歳の自死がイタリアでもどれほど多いか驚いた。考えてみれば、3年前の長女の親友も18歳になる直前だった記憶がある。

 

ところで、まだ私が高校生だった頃、アイドル歌手だった岡田有希子がガス自殺を図り、一命はとりとめたにも関わらず、隙をみてビルから投身自殺をする事件があった。アイドル歌手の投身自殺は、同世代の少年少女たちに大きな衝撃を与え、以降、全国で後追い自殺が頻発。”ユッコ•シンドローム”と言われ、多いな社会問題になったくらいだった。

 

イタリアでは18歳は成人となるが、精神的にはまだまだ不安定なお年頃。元X Japanのギタリストのhideの時もそうだった。自死の連鎖を「ウェルテル効果」と言うらしい。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』に因むのだが、物語の中で主人公のウェルテルは最終的に自殺をするが、出版当時これに影響された若者達がウェルテルと同じ方法で自殺するなどの社会現象を巻き起こしている。

 

話は変わるが、昨日、用事があって長男の学校へ行き、校長に長男の様子が変だと言われたので、理由を説明したら、ちょうど休み時間で通り掛った長男に校長が声をかけ、友人のことに触れた途端に号泣されてしまった。あんなに泣く長男を見たのは、彼の幼児時代以降初めてだろう。私も胸が痛く、涙が出てしまった。

 

「友達といさせて...」と言って、ここのところ、夕飯は亡くなった友人の共通の友人たちと過ごしているようだ。少なくとも彼らと一緒にいた方が、家にいるよりは心が癒されるのかもしれない。


私が虚しく生きてる今日は、生きたかった誰かの明日かもしれない。辛くて生き続けられない誰かのためにも、私は今を精一杯生きたい... これは、長女が補習校の高等部卒業式の答辞として述べた言葉。


そして、昨夜遅く、知人の結婚式に出席するために長女が帰宅。今朝早く出かけてしまったが、彼女の元に長男からちょっと話がしたい、とメッセージが入ったとのことで、夜中に二人でボソボソと話している声が聞こえた。やはり親友を亡くした同じ経験のある長女に気持ちを打ち明け、何か言って欲しかったのだろう。彼女は、友人の死を聞いた途端、私の前でパニックで過呼吸になった。あんな風に過呼吸になる人の姿を見たのは、私としても初めてで恐ろしかったくらい。そして泣いて泣いて、友人に、そして何もできなかった自分に対し、怒りを抑えきれず、それでもじっと耐えていた彼女を見ているのは本当に辛かった。学校の成績もどんどん落ち、進級も危ないか?と思ったくらいだ。

 

そういう意味では、長男の方が感情を殺しがちなので、塞いでしまうのではないか?とはいえ、彼だって進級がかかっているし、この夏、空手の全国大会だって期待がかかっているというのに...でもそれは親のエゴなのかもしれない。私も色々な感情が駆け巡る。とにかく、夫には、やたら怒ったり、怒鳴りつけないでほしいと釘を打っておいた。

 

長女はとにかく、心にためない。吐き出すように、とアドバイスしたようだ。

 

また、FBに長男が、思いを綴っていた。”君がいなくなってしまったとは、未だ信じられない。何も言わずに逝ってしまい、また君の笑顔をもう見れず、一緒に笑ったり過ごすこともできないと受け入れるのは難しい。けれど、むこうで僕たちに微笑みかけ、君が大好きだった彼女と一緒にいると約束してくれ。Ti voglio bene G.  昔も今もそしてこれからも僕の兄弟だ。いつも僕たちの心にいてほしい。これはさようならじゃない、忘れないよ。安らかに眠ってくれ。”

 

”Ti voglio bene” とは、”大好き”という意味だが、大切に思っているというニュアンスもあり、”愛している”という言葉よりも優しく、響きがいい。

 

自ら命を断つ、ということは本当に悲しいこと。家族や友人、親しい人が自死してしまうことは本当に辛く、打ちのめされる思いだろう。けれど親しかった人との絆は,死によって断ち切られるものではないだろう。天に昇り,神様のそばにいて,私たちの為に祈り,見守ってくれると思いたい。私たちもそういう思いを大切にしないといけない。本来私たちの命は,神様から頂いたもので,生かされた命であり,人と人との交わりの中でこそ生きる命だ。けれど,肉体の死を超え,神様のもとで完成する命だと思えば,亡くなった方を思う時,私たちの命のつながりは,神様と人と人とのつながりに広がるものとなるだろう。

 

人は支え合うもの。たったひとつ、命がぽつんと孤立しているものでは決してない。彼の安息を祈ります。私たちができることは、亡くなった方々の永遠の安息を願い、慈しみ深い神様の御手にその方を御委ねすること。神は苦しみの中に世を去った人々を決して見捨てることはない。私たちはそう信じ、祈ることができる。

 

神様の慰めと慈しみがご家族のもとにもありますように。
 




 

55日前

 

カトリックの教会では、5月を「聖母月」、10月を「ロザリオの月」と呼んでいる。

 

この起源については、いろいろな説があるけれど、美しい少女を5月に「メイ・クイーン」として選んでいたのが、「なんと言ってもいちばん美しいのは聖母だ」ということで、5月が聖母にささげられるようになったという説。さらに、5月の新緑の美しい季節は、色とりどりの花々が咲き乱れる季節でもある。ヨーロッパでは、古くからこの美しい5月は、聖母にこそふさわしい月と見なされ、「聖母月」と呼ばれるようになったという説もある。


各地の教会では、この聖母マリアをたたえるいろいろな行事が行われており、特にこの一ヶ月間、ロザリオを捧げたり、聖母マリアに捧げる歌をうたったり5月31日にはその締めくくりのマリア行列が捧げられる。


また、教会によっては、5月に聖母マリアのご像の手に麦の穂を持たせる習慣もある。それは、5月の小麦の収穫が豊作であるように祈ることから、この習慣が生まれたそうだ。

 

ちなみに、映画では、聖母マリアは黒い服をまとっておられることが多いが、絵画では、青いマントを羽織っておられることが多い。

 

どのような説も習慣も、イエス・キリストに従い、最後まで忠実を尽くし、私たちの母となってくださった聖母マリアを思い、聖母に倣うように努めていきたいと願う人々の心からこの信心が自然に生まれてきたのでしょう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=VC3IWKXBz6k&list=PL_INVfhn9Lp4v2ysMkMPV4du7t0CqEU20&index=12

 

 

ミラノの日常 第2弾

作者:ミラノのそふぃあ

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで19年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

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