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ミラノの日常 第2弾

51日前

 

一年の計は元旦にあり。何事も始めが肝心である。けれど、礼にはじまり礼に終わる。だから、終了もこれまた肝心。

 

今年の1月1日に「一年の計は元旦にあり 「クロノス」と「カイロス」」を書いた。

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12112893779.html

 

>「クロノス」は人間が作った時間であり、「カイロス」は神が備え給う時間だという。私たちに与えられた時間、人生は無限ではない。...人にはそれぞれ時がある。生まれる時、死ぬ時、泣く時、笑う時...それは時計で計るような「クロノス」ではなく、人生にいろいろな意味を与える「カイロス」である。神との出会いは、恵の時。そして救いの時。

 

私はこの1年、カイロスを大切にしただろうか? 昨日大好きなシスター渡辺和子が帰天されてしまった。書籍や”心のともしび”のサイトで福音宣教をもたらされ、信者でなくても、彼女の言葉に励まされ、癒された者は多いことだろう。それは彼女の言葉であって彼女の言葉でなく、神の言葉。そして、彼女は、常に言っておられた。”時間の使い方は命の使い方”だと。人生という時間を大切にするためには、「クロノス」ではなく、神の時「カイロス」を大切にして生きなければならない。

 

私は今年、人生大台に入った。

五十にして天命を知る。

 

天命を知るとは、自分の生涯における使命を見極めることを言う。一応、カトリック信者としては、「使命」と言えば、イエス•キリストの使命を生きること。やはり福音宣教であろう。ブログや行いなどを通じ、アクションを示していかないといけない。

 

ところで、今年は過去最高にブログを書いた。372本。1日1本以上の日もあったから驚き。


2013年  360本

2014年  358本

2015年  361本

2016年  372本

 

私が凝縮されている。どこを切っても私の金太郎飴状態だ。笑


人生は刺繍の表側のように綺麗に見えても、本当はその刺繍の裏側のように糸の行き来は沢山。刺繍のように、一針一針心を込めて刺していきたいと思う。


今年もお世話になりました。ご愛読有難うございます。また来年も宜しくお願い致します。

2017年が皆様にとって素晴らしい一年となりますように。

 

53日前

とにかく食事はせずに長女を迎えに行き、彼女の体調を見てからあとの予定は考えようと言っていたはずなのに...食べ物や飲み物のことになると、夫は話が変わってしまう。

 

入ったお店はこんな感じ。

 床に直接座る感じで、入り口にいたトルコ人のおばちゃんが、ピッツアをその場で焼いて出してくれる。

 

 それは、いつも友人ハヴァのところでいただくものと同じ。なので家庭料理なのだろうか? 彼女の家でも大きめのテーブルカバーを床に敷き、折りたたみのちゃぶ台を持ってきては、そこへ直接座って食事をいただく。

 

 ツボに入った羊の肉。ツボを割って、料理にサーブする。

 

 ブルグルもサラダもいつもハヴァのところでいただく味付け。ツボに残った肉と野菜はスープと一緒に頂く。ハンガリーで食べたグーラッシュのよう。ただアルコール類は一切なし。それだけが夫の予定外だったようだ。苦笑

 

ホテルへ帰ると、長女は未だ調子が悪そうだったが、私たちが予定よりも2時間も遅れて戻ったことを怒っていた。当たり前。だから早く帰ろうと言ったのに。すると、自分はチェックアウトと飛行機のチェックインの手続きがあるので、長女を連れて折り返しブルーモスク(アヤソフィアの前)に行ってきて!という。ブルーモスクは長女がどうしても行きたがった場所だ。えっ今戻ってきたばかりなのに。だったら、初めからもっとちゃんとしっかりした予定立ててよ!文句たらたら長女を連れて出かける。

 

 ちょうど礼拝が終わったところで、団体が中から吐き出されるように出てくるところだった。それでも中に残り祈る女性たちの姿を見かけた。礼拝は、肉体, 精神、魂を忙しい毎日の真っ只中にある出来事から解き放す追想と降伏の行為だとイスラム教は考える。1日数分間日々の心配事から離れ、その他の行動に平安と効果的な意識を吹き込む。祈る姿は尊い。祈りは神聖。

 

チェックアウトを終えても、ホテルを出発するのは夕方6時過ぎだったので、たとえ長女がホテルに戻ったところで、私はもう一度オヤを見に行けるか?と思ったが、夫は5時過ぎにホテルに戻ってきて、と言っていた。あまりにも時間がない。結局ホテルへ戻ったが、夫と次男は不在。5時ではなく6時だった、とあとに言われたが、そんなのあとのまつり。彼らはまだ食うか?!食べおさめにまたサバサンドを食べに行っていたのだ。もうあきれてものも言えなかった。

 

ああ、オヤ糸もう少し欲しかった。欲をいえば、ハマムも行きたかった...。

 

また戻ってきたいと思う。

 

 

 

54日前

今回の旅行はあまりにも予定がタイトだった。

 

そして、実は私は出発直前からいきなり具合が悪くなった。途中で発熱もしたようだ。身体中が痛く、喉が痛く、首が腫れてきた。聖母マリアの家を訪ねた際、近くの聖水と呼ばれる水を飲んだ。気のせいかもしれないが、移動中は爆睡。そしてあれよ、あれよという間に体調が良くなったのだ。しかし、それを鼻で笑った長女は、いきなり体調が悪化。最終日は起きられないほど、ぐったりしてしまった。やはり、信じるものは救われる?!か???

 

最後の日、チェックアウトはしたものの、ホテルのメンバーであったので、午後4時まで部屋を使うことが可能で、長女を置いてアヤソフィアを観に行った。トルコはアラブの都市ではあるが、多分アラブ諸国の中では一番宗教的にはイージーな感じ。シーア派とスンニー派があり、シーア派の女性はブルカを身につけていない。ちなみにモスクで祈っていた女性はスンニー派。私の友人と似たようなベールのかぶり方、そしてロングスカートにロングコート。やはりエジプト人やモロッコ人とはスタイルが違った。男性も信仰はあるにはあるが、祈りは週に1度くらいかなあ。ラマダンも結構ゆるい、とガイドさんは言ってらした。

 

アヤソフィアは、ビザンチン建築の最高傑作であろう。西暦325年から建築開始。元は、ギリシャ正教の大本山として崇められていた。ギリシャ語では、ハギア•ソフィアという。

 

15世紀半ば、オスマントルコによってコンスタンチノープルが陥没すると、イスタンブールと改称された街は、イスラム教で埋め尽くされ、アヤソフィアはイスラム教モスクへと改造される。

 

その後、20世紀前半にトルコ共和国が誕生すると、建物はモスクから博物館へと姿を変えた。


 

 丸い円盤状の装飾には、「唯一神アッラー」や「預言者ムハンマド」を表すアラビア文字が装飾化されて描かれているが、その横には、聖母マリアに抱かれた幼子イエス。

 

 こちらは左から、聖母マリア、キリスト、洗礼者ヨハネ。

 

やはり、カトリック信者としては、十字架がなくてもキリスト像やマリア像を見れば、思わず十字架を切りたくなってしまう。

 

  キリストと皇帝コンスタンティノス9世・ゾエ夫妻

 

  聖母子と12世紀の皇帝ヨハネス2世コムネノス夫妻

 

一度ホテルへ戻り、長女の様子を見て、もし彼女がブルーモスクを見たいというのならば、夫か私が彼女をさっと連れてこようと話したが、気になるレストランを見、吸い込まれるように中へ入っていく夫。(続く...)

 

55日前

 

ビザンティウム、コンスタンティノープル、イスタンブールという 三つの名前を持つ都市。 


アジアとヨーロッパの狭間にあり、 髪も黒く、肌も浅黒い人もいれば、白人の人もいる。東洋であって東洋でなく、西洋であって西洋でないという不思議な都市。 海があって山(丘)が多く、狭い街を車やがトラムがガンガン通り過ぎていく。イスタンブールの人口は東京よりも多い1500万人ほど。現在、旅行はオフシーズンだというのに、街は人・人・人であふれかえり、一日5回行われる礼拝の時間の前に礼拝の時間が来ることを伝える「アザーン」という放送が、なぜか私には心地よく、肉声で「神は偉大なり」という意味の句が繰り返されていた。

 

5年前のトルコ旅行の後、ガイドさんに教えて貰ったトルコどころか世界中で大人気になったスルタン•スレイマンのドラマ「Muhatesem Yuzyil」 139話はすべて見た。

 

 

1話2時間前後もある、とんでもないドラマ。何語で見たの?と皆に聞かれるが、もちろんトルコ語で。えっトルコ語わかるの?と聞かれるが、いいえ、想像の世界です。何か?笑 トルコ語の響きが大好きで、衣装、そして音楽、見ていて飽きなかった。

 

また、Itamaのトルコ人と生徒さんとは、特に仲が良く、しょっちゅう誰かの家にいっては、オヤ(トルコの伝統手芸)を習ったり、お料理を教えて貰ってきた。が、未だ作ってもらう人。皆優しいんだわ〜。笑

 

今回のイスタンブールはさすがにガイドなし。私は、サバサンドを食べ、オヤの一式が買えればそれで満足。

 

まずは移動。片道4トルコリラ(120円くらい)で1コインを購入。それを機械に入れ、駅構内に入る。

 現地の人は、カードにお金がチャージできるようになっているが、毎回コインを買うのは面倒だった。

 

まずはガラタ橋へ。以前は橋の近くの船着場でサバサンドのお店(船)はあったが、行ってみると、船の前は工事中。(というか、その日はやっておらず、船に近づけないし、第一営業している船がない!)えっどうして??? 以前は、日本人だとわかると、すかさず「サバサンド!」「サバサンド!」と声をかけてくるので、苦労しなかったが、この不況のせいで、日本人はおらず、日本語を話すガイドや職人にさえなかなか合わず。本当はなんていう名前なの? 不覚にも調べておらず、「魚のサンドイッチが食べられるお店、この辺にありますか?」と聞きまくり、やっと一軒発見! あれっフライじゃなかったっけ?もっと美味しくて感動したはず...と思って、以前の日記を読み返したが、やはりサバはグリルしてあるだけで、フライではなかった。レタスしか挟まれていなかったが、本来はそこにオニオンスライスも入っていたはず。レモン汁と塩をかけて頂く。

 

 夫がざくろジュースかと思って、オーダーしたら、出てきたのは、酢漬けのキャベツとピクルス。なんだ、すっぱくてたまらない。

 

また、オヤ探し。ホテルのコンシェルジュに聞いたが、さすがにそういった問い合わせも少ないのか?どうも奥様に電話した様子。そして、ホテルの近くと、街中でわかりやすいお店を紹介してもらっていたようだ。笑

 

ガラタ橋の目と鼻の先にある、エジプシャンマーケットの近くのアーケード内に行けば、行き当たりバッタリ見つけられるであろう、とかなりアバウトなアドバイス。

 

スカーフ専門店は見つけた。シルクやコットンのスカーフは、トルコ人女性が自分で手編みのレース網の淵(オヤ)をつける人もおり、切れ端が処理されていないものも多い。また、糸もシルクとポリの入ったものがあるが、太さも様々。あちゃーわかんないわ。これかな?と思ったものは、結局、機械用だったことがわかり、不要と告げる。そこで手編み用のレースを売っているレース店を紹介してもらい、移動。英語を話す人が少なく、ジェスチャーであれや、これやと苦労した。

 

ところで、トルコではレースの編棒は実はTulipという日本製のものが使用されている。知る人ぞ知るメーカーだ。私は日本でTulipのレース針、no.8 0.9mmというのを持っているが、グリップが握りやすくお気に入り。イタリアではもっと細いものがあるが、グリップがゴム状になっていないので、握りづらい。今回、no.23 0.45mmというものを購入。はっきりいって目に見えない代物。苦笑 糸もあまりにも安く、とりあえず4つ購入したが、編み針と合わせて200円ちょっと。日本だったらかぎ針だけで1000円弱してしまうのに。また、スカーフもトルコの伝統的な花の模様は、薄いコットンで90x90cmで5トルコリラ、約150円と考えられない安さ!もっと購入してくるべきだったわ。

 

 

マーケットに戻ると、やたら声をかけられる。しかし、ここ数年日本人観光客が激減しているのか、日本語の掛け声が少ない。「ニーハオ」「アニョハセヨ」と声をかけられるが、無視。夫がカザキスタン人に間違えられ、なぜか次男は何度かコロンビア人に間違えられていた。笑える〜。

 

味見したお菓子が美味しかったので、お店でお茶を頂くことに。

 

 

 

値段交渉は楽しい。以前購入するつもりもないのに、どんなもんだか、絨毯やさんのお店に入り、お茶を頂いたが、日本語ペラペラの売り子も多く、あの手、この手でついつい気持ちが欲しい方向になってしまうから、恐ろしい!と思ったものだ。


楽しいぶらりイスタンブールは続く...

 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11106384084.html

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11118283987.html

55日前

イエス•キリストが亡くなり、弟子の一人であったピエトロは神の代理人、つまり教皇となったが、やはりローマ皇帝の迫害に遭い、西暦64年にヴァチカンの丘で処刑された。一方、直接の弟子ではなく、当初は迫害側にいたトルコ人のサウロも回心。(後のパウロ)(西暦34年頃)宣教のため、3度も旅に出ている。その辺は、新約聖書の信徒言行録を読むと解るが、聖パウロも宣教のため滞在した町、エフェソス。聖書には「エフェソの人々への手紙」に登場する場所。当時の町が遺跡としてほぼそのままに残されているからすごい。

ところで、トルコはテロの影響で、観光客もどっと減ったというが、日本からのツーリストはもちろん、在外邦人とも一度も出会わなかった。閑散とした遺跡のほうが、妄想の世界に入りやすい。笑

 

エフェソスはもともとアルテミス崇拝で知られたギリシャ人都市であったという。もともとは港湾都市であったが、土砂の堆積により現在は海岸から離れている。文化的にも繁栄した町であったが、周辺の湿地帯に発生したマラリアの蔓延のため、人口の減少に拍車をかけ、廃墟と化した。

 

まるまる1時間半かけて、遺跡内を歩き説明を聞いた。ギリシャの植民都市としてその歴史がスタートしたが、紀元前1世紀頃、ローマからカエサルはのアントニウスとエジプトのクレオパトラが滞在したそうだ。アルテミス神殿に退避していたクレオパトラの妹は二人の策略で殺害されているとのこと。そして、4世紀にローマ帝国がキリスト教を国教としたことで、エフェソスは更に発展。431年にはエフェソス公会議も開催されるほどの重要な宗教都市となっていたそうだ。

 

 ちなみに、次男が古代ギリシャ建築における建築様式を一生懸命説明してくれたが、母は、どれがコリント式で、どれがドリアンだかドーリア式で、イオニア式だか全くわかりませんでした。すいません。苦笑

 

こちらは、ニケの女神。 ギリシャ神話に出てくる「勝利の女神」だ。ちなみに、「NIKE」ことナイキ社名はこの勝利の女神、ニケが由来だという。あのロゴは、女神の衣のラインから取ったという話だが、真相は定かではないとのこと。

 

 

面白かったのは、こちら、公衆トイレ。

 

 男性用だそうだが、冷たい便座は奴隷が先に座って温めたという。少し坂の上に公衆浴場があり、そこのお湯が流れてくるので、汚物はそのまま流されていく造り。賢い!

 

 こちらは、2万4千人を収容できた大劇場だというが、聖パウロもここで、説教をしたと思われる。他にも、図書館や娼館など興味深い場所がたくさんあった。

 

逆にアルテミス神殿(跡)は、発見したイギリス人が遺跡すべて大英博物館に持って行ってしまったそうで、残っているのは、この柱一本。神殿の悲哀を物語っている。

 

 

そして、エフェソスの遺跡とは少し離れたところにある、聖ヨハネ教会跡にも出かけた。

 

 

キリストが亡くなった後、弟子の一人であったヨハネと聖母マリアは、この地を訪れ、晩年を過ごしたようだ。

 

 

イスラム教徒が99パーセントを占めるトルコにおいて、カトリック信徒は全土でわずか3万2千人の小数派の存在であるが、パウロの時代は、またユダヤ教から徐々に改宗されていっている時代だった。

 

エフェソにいる聖なる人々、キリスト・イエスに結ばれている忠実なみなさんへ

わたしたちの父である神と主イエス•キリストからの、恵みと平和があなた方にありますように。(エフェソ1:1-2)

 

「恵み」は、人々と世を造り変える力。「平和」は、この変容がもたらす実り。キリストは恵み。キリストは平和。...キリストに賛美。

 

 

 

ミラノの日常 第2弾

作者:ミラノのそふぃあ

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで19年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

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