Welcome!

ミラノの日常 第2弾

55日前

 

雨が多いミラノである。

降って降ってまた降って...

 

北イタリアは11月あたりによく雨が降るけれど、日本のような梅雨はない。それが今年はどうしてしまったのだろう?

 

先週はコモやミラノ郊外のヴァレーゼでは雪が降ったという。またミラノでも夜中に雹が降った地域もあるそうだ。先日、バドミントンの練習では、隣のコートが体育館の雨漏りでびちょぬれだった。

 

また、イタリアの傘(どこせいかよくわからないが、駅の改札近くのバングラデッシュ人から購入)は壊れやすい。先週は長男も次男も傘を壊して帰宅。はあ。

 

本来ならば、ミラノの5月は非常に穏やかで過ごしやすく、最高気温が25度を超える夏日もあるくらい。日差しが弱い薄曇りの空の下でも紫外線は届くし、日光の日照りが激しいため、サングラスと日焼け止めクリームなしではいられない。それがここのところ、15度以下の日も多く、寒くて寒くてたまらない。先日はお風呂に入った後も寒くて寒くてたまらずパジャマの上に、スカーフを巻き、ジャケットも着ていたが、あまりにも寒くてベッドに入ったら、そのままの格好で寝てしまったくらいだ。よって洗濯物も乾かない。特に道着が乾かないのは、我が家にとっては致命的。一人2着ずつ持っているが、x3人分が家中に常に干してある。苦笑

 

ところで、五月雨とは、日本では梅雨のことを言い、旧暦の5月に降る雨というのが由来だと言う。春雨といえば、緑豆から作った透明の麺を思い出すが、本来は春にしとしと降る雨のことをいう。そして春時雨は春になって降る時雨のことをいうが(そのままじゃん!)、晴れていたかと思えば急に降り出し、止んだかと思うとまた降り出すというような照り降り定めない通り雨のことをいう。この雨はそれとはまた違う。

 

日本には、雨の種類、言葉、表現が非常に多い。古くから農耕による生活をしていく上で、雨に対し敏感だったということだろう。私はどうも低気圧になると、気分も滅入るし、体もだるくなりがちだが、気持ちの持ち方次第では、その雨にも暖かさや明るさ、清々しさなどまるで違ったものを感じることができるから不思議だ。

 

ところで、花にあふれていたミラノも気づくと、緑が青々しくなってきた。新緑の頃に青葉に降る雨のことを「青雨(せいう)」と言い、また、「翠雨(すいう)」とも言うことを今回初めて知った。

 

ミラノのこの雨は、やはり「五月雨」かなあ、とも思ったが、春の長雨のことをいう「春霖(しゅんりん)」の方が、情緒があって良いだろうか?ちなみにこの「」という言葉は、長々と降り続く雨のことでで、和歌では、「眺め」と掛けて用いられるそうだ。

 

「つれづれと霖ふる日は青柳のいとどうき世にみだれてぞふる」〈紫式部集〉

 

それにしても、余りにも寒くて、アパートに再び暖房が入った。もう5月なのに!!とは言え、今年のワインの出来はどうだろか... 最終的に考えるのは、それ。爆

 

 

http://idea1616.com/ame/

58日前

 

 

...というわけで、型の決勝戦になったのだが、その前に我が家の愚息たちの結果というと、長男は一回戦目で大敗。相手は、昨年の秋に他流派から移籍してきた女子高校生。ありえないでしょ?というと、本人も何が悪かったかわからないという。けれど、長男に関しては、力強さはあっても致命的な癖があり、それを治さない限り、今後の道はかなり厳しい。次男に関しても癖があり、運良く3位決定戦まで持ち込んだが、負けてしまい4位。それでも普段、気合が弱い子だが、本番になると出る子。普段からきっちりしようよ!

 

私の番が来たが、自分の納得が出来る型が打てればいいと思ったので、それで十分だった。判定は副審の時点で0-4。仕方ない。ただ、後から主審だった師範に「微妙な判定だった。けれど安定した型だった」と言われたので、私の中ではそれで納得。とはいえ、後から送られてきた画像や映像を見て、やはり”ああ”と思うものがあった。いずれにしても改善点がいっぱい。

 

そして、本来ならヌンチャクの演舞があったが、予定の時間をすでに超えており、午後に回して、短めのお昼休憩に入った。食べ過ぎて気持ち悪くなってはいけぬ。持って行ったパニーノは半分に控えておいた。

 

さて、午後から組手の競技が始まった。型では、あまり気合の入らない子でも、組手になると、しかも本番でスイッチが入るお子ちゃまも多く驚いた。毎年、試合に負けて泣いていた子も、徐々に心身強くなっていく姿を見ていると、こちらも嬉しくなるもの。よく頑張ったね!と声をかけると、皆にやっと笑う。

 

そして、年齢、カテゴリーも上がるほど、見ていてハラハラドキドキするようになってくる。

 

ところで、武道とは、文字通り「武」の「道」である。「武」とは”止”と”戈”からできており、<戈を止める>ことが「武」の本義。なので「戈を止める道」が武道ということになる。つまり『防衛』のためだが、下手すれば殺法にもなり得るということ。武力と暴力は紙一重だが、けれどそこには大きな違いがあるということを忘れてはいけない。自分の技を磨いてくれる師範はもちろん、相手も、かけがえない”師”であること。”反面教師”ということもあり得るが、必ず学ぶべきものがあると思えば、「礼儀」は忘れてはいけないもの。

 

またここ数ヶ月、イタリア人門下生に日本語を教えているが、毎週「空手道訓」を繰り返し、4つの意味を確認する。徐々に生徒が減ってきているが、今残っているメンバーは本当に空手を通じ、日本人の精神(本来そうあるべきもの)を真面目に学ぼうとしている。ある時、師範が、「組手でちょっと痛い目にあって、腹がたったりするような態度を高校生などから感じるが、組手は人を倒すものじゃないんだから....」と一瞬言っただけでも、彼らは、あっ空手道訓3条。「空手は人を倒すものではなく、...己に打ち克つものである」と思ったという。さすが!!己に打ち克つ...瞬間的にも沸いた怒りの感情を鎮め、その感情をもった己に打ち克つ。それは普段の生活でも結構難しいものだ。それは空手道訓2条の「空手は己を見つめ、己を正し、己を磨くものである」にも通づるものがある。

 

その後に、ヌンチャク、棒術などの演舞が続き、無事表彰式を迎えた。第一回目のオープン大会としては、悪くなかったと思う。

 

さあ、これからはリセットし、夏の全国大会に向けて頑張らないといけない。「昨日の我に今日は勝つべし」またまた精進いたします。

 

 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12270881276.html

59日前

 

昨日、第1回翔舞の陣オープン空手道選手権大会が行われた。

 

夏の日本で行われる全国大会に気をとられ、この大会のことは、ギリギリまであまり意識をしていなかったのだが、万が一決勝戦まで行った場合に出せる技として、どの型を出すか?いや出せるか?が問題だった。緑帯、紫帯の多くの人が”セイサン”を出していたが、自分の中ではイマイチで、癖が強いのは自覚していたが、稽古の度に師範に微妙に首を振られると「あっだめ?」「あっもう間に合わない?」と焦ったものだった。

 

大会の稽古の際、私があまりにもセイサンをしないので、「なんでしないの?」と聞いてくる人も数人いたが、自分の中では勝つためのセイサンにはしたくなかったので、今回の大会にはしないと心に決め、それ以前の型を完成させたいと思った。

 

オープン大会ということで、2つの他流のグループも参加したが、やはりスポーツではなく、「武道」としての空手、として参加するものも、そして観る側も、常に「相手」がいるという尊重の念をもって臨んで欲しい旨、はじめに師範より挨拶があった。ガッツポーズや歓喜の歓声、ましてや野次などもってのほか。

 

ところで、大会の当日、9時半に会場集合だったが、友人が近くでピックアップしてくれるというので、逆算すると8時半に家を出れば余裕かと思っていた。お弁当を準備し、子供たちにも準備をさせていたら、次男がいきなり「ヌンチャクがない!」と言いだした。はじめは冗談かと思っていた。前日、最後の稽古でヌンチャクを持っていたのだから。道場か更衣室に忘れたとしか考えられない!であれば、どうするか?師範がそろそろ会場に着くはずだが、余分にヌンチャクを持って行っているだろうか?または、誰かに借りるとして、確実にヌンチャクを持っている人はだれだろう?しかもまだ家を出ていなそうな人...でも電話番号がないぞ!!私もだんだん焦ってきた。師範ご夫妻に電話をしても出ない!(後からわかったのは、奥様は携帯電話を充電したままご自宅にそのまま忘れてしまい、師範ご自身は荷物と一緒に会場に向かう車のトランクに携帯電話を入れてしまい、電話が鳴っているのはわかっていたが、取るに取れなかったという...)

 

それと、同時に前夜帰宅の遅かった長男がなかなか起きてこず、誰とどうやっていくの?自転車で行くにしても早めに出ないとダメでしょ?と起こすのだが、うーん...と寝ぼけており、やっと仲間に携帯電話でメッセージを入れたらば自分だけ取り残されたことが判明し、もう無理!バスに乗り継いでじゃ間に合わない。自転車でも遠すぎる!と駄々をこね始めた!結局かれは一人タクシーで出かけたのだ。この不届き者めがっ!

 

朝から喜怒哀楽など出してはならぬ武道ではなく、武道は”ぶどう”でも、もう「怒りの葡萄」だあ!と私もブチ切れ状態。果てしない苦難とそれに全身全霊をもって立ち向かう母親...お前らしっかりせえ!

 

結局、既に家を出、仲間を迎えに行っていた門下生Mが家にヌンチャクを取りに行ってくれる事になった。感謝感激雨あられ。その後にも、別の門下生から「ヌンチャク無くしたんだって?俺はいつも車に積んでるから貸してあげるよ。」と電話が来た。持つべきものは友である。

 

会場に到着。会場設営の準備にとりかかった。毎回大会では、ご父兄の方々に、選手の呼び出しからトーナメント管理などのお手伝いをお願いしているが、さすがに今回は80名以上の参加者がおり、日本人のご父兄のみでは数が足りず、大会に参加する選手も助っ人として呼ばれた。自分の番が来るまで緊張して観ているよりは、気が紛れる...。

 

 同じカテゴリーには、イタリア本部最高齢のF爺さんも参加。いつも寒いし、大気は汚染されているから帽子をかぶるべきだといって、帽子をかぶって稽古に来る。そりゃないだろう?と思うのだが、さすがに大会では、ギリギリになって帽子を取った。またヌンチャクを取りに行ってくれたMは、まわりに「決勝はT子とやりたいから、皆俺に勝たせてくれ!」と頼んでいる。なんだよ、そりゃあ...どこへいっても笑いが止まらないメンバーだ。

 

第一戦、そして第二戦、緊張は多少していたが、割に自分の思い通りの型が打てた気がする。始めからシードされていたので、気づいたら決勝戦に残っていた。相手は常に勝てないHさん。私としては、その時点で十分だった。4度目の大会にしてやっと入賞できたことで、彼女の勝ちたいという気もさらさらなく、しかも、彼女は最後にセイサンを出して来たが、私の型の倍以上の時間がかかる分、どう考えても私は不利であり、練習してきた型を打てればそれで十分だと思い、その時点でもう胸がいっぱいだった。続く...

 

 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12268871170.html

60日前

 

 

4月19日

Meditiamo con stupore e riconoscenza il grande mistero della risurrezione del Signore.
主の復活の大いなる神秘を、驚きと感謝をもって黙想しましょう。

 

 

4月20日

Se Cristo è risuscitato, possiamo guardare con occhi e cuore nuovi ad ogni evento della nostra vita, anche a quelli più negativi.

キリストは復活されたので、最も否定的なものも、私たちの生活のすべての出来事を新しい目と新しい心で見ることができます。

 

 

4月21日

Quando abbiamo toccato il fondo della nostra debolezza, Cristo risorto ci dà la forza di rialzarci.
復活したキリストは、私たちが弱さの極みに触れるとき、、再び立ち上がる力を与えてくれます。

 

 

4月22日

Signore, risana la nostra vita affinché proteggiamo il mondo e non lo deprediamo, e seminiamo bellezza e non inquinamento e distruzione.

主よ、世界を守り、人から搾取せず、美しさの種をまき、非汚染、破壊の種をまかないよう私たちの生活を改善させてください。

 

 

4月23日

La misericordia di Dio è eterna: non finisce, non si esaurisce, non si arrende di fronte alle chiusure, e non si stanca mai.
神の慈しみは永遠です。それは決して途切れず、 燃え尽きることなく、閉じた扉の前でもあきらめず、決して疲れることはありません。

 

Chiediamo la grazia di non stancarci mai di attingere da Gesù la misericordia del Padre e di portarla nel mondo.
父の慈しみであるイエスに出会うことに決して疲れず、世界にもたらす恵みを求めましょう。

 

 

4月24日

Se avessimo la Parola di Dio sempre nel cuore, nessuna tentazione potrebbe allontanarci da Dio.
神の言葉が常に心にあるならば、だれもが神から離れるような誘惑には陥らないでしょう。

 

4月25日

È morto, è sepolto, è risorto ed è apparso: Gesù è vivo! Questo è il nocciolo del messaggio cristiano.
彼は死に、葬られ、そして復活し、現れました。:キリストは生きています!これは,キリスト教の核心です。

 

 

4月26日

Promuoviamo l’amicizia e il rispetto tra uomini e donne di diverse tradizioni religiose per costruire un mondo di pace.
世界平和を築くため、異なる宗教伝統を生きる男女の間に、友情と尊敬をはぐくみましょう。

 

 

4月27日

Mi recherò domani pellegrino di pace nell’Egitto di pace.
平和の巡礼としての、明日の私のエジプト訪問のために、どうかお祈りください。

 

 

4月28日

Siamo chiamati a camminare insieme, nella convinzione che l’avvenire di tutti dipende anche dall’incontro tra le religioni e le culture.
私たちは、未来は宗教と文化の出会いによって決まるという確信の中で,共に歩むよう呼ばれています。

 

Il Signore ci conceda di ripartire oggi, insieme, pellegrini di comunione e annunciatori di pace.

一致のための巡礼者、平和の訪れを告げるものとして私たちが共に歩み続けられる恵みを、今日主が与えてくださいますように。

 

4月29日

La presenza di Gesù si trasmette con la vita e parla il linguaggio dell’amore gratuito e concreto.
イエスの存在は、私たちの生活と無償で具体的な愛の言語を通して伝達することができます。

 

 

4月30日

Con la sua risurrezione Gesù ci ha liberati dalla schiavitù del peccato e della morte e ci ha aperto il passaggio alla vita eterna.
イエスはご自分の復活によって私たちを私たちの罪と死の奴隷から解放し、永遠の命への道を開きました。

 

PapaFrancesco@Pontefix_it

 

 

〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜

 

 

よく「人生は旅である」と表現されるが、パパ様は一般謁見のカテケーシスの中で、私たちの存在は一つの「巡礼」「歩み」であり、私たちの魂は「旅する塊」と仰られた。そして、聖書がまさに巡礼と旅のストーリーに満ちていると指摘された。

 

またパパ様は、「人間はその歩みの中で、決して孤独ではない」と述べられ、特にキリスト者が自分が見捨てられたように感じないのは、イエスが私たちを旅の終点でまっているのではなく、毎日を常に共にしてくださっていることを知っているからだという。」

 

旅には案内人が必要。信仰の案内は信仰の光であり、案内人はイエスご自身。

 

ミサの第3奉献文にある”地上を旅する教会”で、神様の愛に目覚めさせられ、その愛のうちに生きるという「”巡礼”の旅」が続きますように。

 


 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12266609650.html

61日前

 

ハレルヤとは、ヘブライ語由来の言葉で、「主をほめたたえよ」という意味がある。 (ヘブライ語で旧約聖書「詩篇」をテヒリームと呼び、テヒラーという名詞の複数形。この単語は「讃える、賛美する」を意味する動詞ヒッレールからの派生名詞で、「賛美」を意味する。この動詞の複数命令形ハレルーに神の名ヤハウェを短縮したヤーを付した形がハレルヤ。「ヤハヤハウェ)」を「ハレル(ほめたたえよ)」)。ユダヤ教の讃美の言葉に由来し、ヘブライ語הללויה, הַלְּלוּיָהּ, הַלְּלוּ יָהּ‎‎、ギリシア語: Αλληλούια、ラテン語: Alleluia, Alleluja、英語: Hallelujahと記載。

 

旧約聖書の「詩篇」の113-118章は「ハレル詩篇」と呼ばれ、「ハレルヤ」,つまり「ヤハを賛美せよ!」という表現がなんと24回も繰り返されているからなのだが、文献によれば、これらの歌はユダヤ人の過越や、三大祭りの時に歌われる詩篇だという。例えば、過越の祭りには、その食事の前に113篇と114篇が歌われ、食後に115篇から118篇までが歌われる。 

 

ユダヤ教はもちろん、キリスト教の典礼においても使われる言葉であり、特にカトリック、東方教会で使われる。特に、キリスト教においては、「ハレルヤ」は神を讃える言葉なので、多くの典礼においては、四旬節(復活祭の前の季節)には「ハレルヤ」という言葉や「アレルヤ唱」は使われない。

 

ヘンデルの「メサイア」における「ハレルヤ」コーラスは有名なので、知っている人も多いことだろう。

 

 

ところで、昨年11月に詩人にして小説家、シンガーソングライターのレナード・コーエンが亡くなった。彼の世紀の名曲「ハレルヤ」はボブ・ディランをはじめとする数多の歌い手たちにインスピレーションを与え続けた。

 

 

Leonard Cohen

 

 

Bob Dylan

 

 

Bon Jovi

 


そして、ここで英語 & 日本語 対訳をみつけたのでご紹介。

"Well I heard there was a secret chord
that David played and it pleased the Lord
But you don't really care for music, do ya?
Well it goes like this :
The fourth, the fifth, the minor fall and the major lift
The baffled king composing Hallelujah"

そういえば 聞いたことがある
ダビデが奏で 主を喜ばせた 秘密のコードがあるって
でも 君は音楽好きってわけじゃない そうだろ?
それは こんな風に進むんだ
V度の和音 IV度の和音 短調で下がっていって 長調で上がっていく
困惑してた王さえ 心を落ち着かせるんだ 凄いだろ?

"Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelujah..."

ハレルヤ なんて素晴らしいんだ ハレルヤ 主を褒め称えよう

"Well your faith was strong but you needed proof
You saw her bathing on the roof
Her beauty and the moonlight overthrew ya
And she tied you to her kitchen chair
She broke your throne and she cut your hair
And from your lips she drew the Hallelujah"

そう 君は信仰深いけど 確実な証(あかし)を求めてた
君は 屋根の上で月光を浴びる彼女を見ていたね
彼女の美しさと月明かりが 君の心を乱したんだ
やがて彼女は 君をキッチンの椅子へ縛り付け
君の王座を壊し 髪も切り落とした
そして 君の口からハレルヤを引き出したんだ

"Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelujah..."

ハレルヤ なんて素晴らしいんだ ハレルヤ 主を褒め称えよう

"(Yeah but) Baby I've been here before
I've seen this room and I've walked this floor, (You know)
I used to live alone before I knew ya
And I've seen your flag on the marble arch
and love is not a victory march
It's a cold and it's a broken Hallelujah"

(ああ だけど) ベイビー 僕は前に ここにいたんだよ
この部屋を見たことも このフロアを歩いたこともある (知ってるだろ?)
君と知り合う前は ひとりで住むのに慣れてたんだ
やがて僕は マーブル・アーチの上で 君の旗と出逢った
愛は 凱旋パレードじゃない
それは冷たく そして 壊れたハレルヤなんだ

"Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelujah..."

ハレルヤ なんて素晴らしいんだ ハレルヤ 主を褒め称えよう

"Well there was a time when you let me know
What's really going on below
But now you never show that to me do ya
But remember when I moved in you
And the holy dove was moving too
And every breath we drew was Hallelujah"

そういえば 教えてくれたことがあった
本当は何が起こっているのかを
だけど 今はもう何も教えてくれない そうだろ?
それでも 僕が君のところへやってきた あの頃を忘れないで
聖なる白鳩もやってきた
僕らの息づかいすべてが ハレルヤだったんだ

"Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelujah..."

ハレルヤ なんて素晴らしいんだ ハレルヤ 主を褒め称えよう

"Maybe there's a God above
But all I've ever learned from love
Was how to shoot somebody who outdrew ya
And it's not a cry that you hear at night
It's not somebody who's seen the light
It's a cold and it's a broken Hallelujah"

もしかしたら 空の上には 神様がいるかもしれない
だけど 今までに 僕が愛から学んだことは
君より素早く銃を抜いた誰かを どうやって撃てばいいのか それだけだ
夜 君が耳にするのは 泣き叫ぶ声じゃない
光を見た人間は そうはならない
それは冷たく そして 壊れたハレルヤなんだ

"Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelu...
Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelu...
Hallelujah Hallelujah Hallelujah"

ハレルヤ なんて素晴らしいんだ ハレルヤ 主を褒め称えよう

 

ちなみに、コーヘンは宗教曲として作曲したわけではないと言っていたようだが、1番目の”ダビデ”は、旧約聖書「サムエル記」のダビデが初代イスラエル王サウルに竪琴を引いた逸話であり、その後、ダビデが月明かりでもと、沐浴するパトシェバを誘惑する逸話、また「士師記」のサムソンの髪をデリラが切り落とす逸話も語られており、宗教とは関係ないというが、解釈が非常に難しい。

 

今回、ゴスペルのクラスで、師匠自らがアレンジしたペンタトニックスを彷彿させる四音階のアカペラ(彼らは五音階)に取り掛かり始めた。どのパートも主旋律を歌うのだが、私は一番初めに主旋律を歌うパートに手を挙げた。まず、歌詞の意味がわからなければ歌いこめない。それにしても、英語がドロドロ。舌を噛みそうで、ごまかしもかなりのもの! 非常に難しい曲なので、ちょっと音を外すと大変なことになるが、ハモると鳥肌が立つくらい歌っていて感動してしまう!(自分で感動してどうする!)

 

 

pentatonix

 

とはいえ、非常に詩の解釈が難しい。祈りと嘆きというか、何か深い悲しみ、失意を含んでおり、またどことなく官能的でもある歌詞。

 

何れにしても、歌を歌うことで、楽しさが増したり、癒されたり、悲しさから救われたり、歌うことで勇気が湧いたりするもの。

 

「ハレルヤ」... 喜びの時も、悲しみの時も励まし、慰めてくれる一曲。

 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12268140291.html

ミラノの日常 第2弾

作者:ミラノのそふぃあ

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで19年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

7日 47 総合 1620 いいね

↑投票してね!

人気投票ボタン配置はこちらから



ミラノのそふぃあさん新着記事



過去記事

ミラノのそふぃあさんへの新着コメント




ミラノブログ・Facebookページ人気ランキング

1位 Tatsunosuke Satake blog
2位 mimitalyの新☆イタリア生活 ~歌をうたいたい~
3位 イタリアより食とワインと山の魅力を
4位 ミラノの日常 第2弾
5位 オレンヂ・ミラノ情報発信局
6位 ミラノ(イタリア)を制覇するブログ
7位 ビワの葉は凄ィっ!ってイタリア人に勧めてみる。+気まま雑記
8位 Belle e Felici


あなたのブログ・Facebookページをもっと多くの人に読んでもらいませんか?ミラノでのブログ・Facebookページをお持ちの方は是非ご登録下さい。

ブログ・Facebookページ登録