Welcome!

ミラノの日常 第2弾

56日前

恋い焦がれたトルコに5年ぶりに戻ってきた。


前回は、イスタンブールとカッパドキアを訪ねたが、やはり聖母マリアが晩年すごしたというエフェソス都市遺跡を観光しないとトルコ旅行は完成しないだろう。ちなみにエフェソスは、聖書に「エフェソ人への手紙」に出てくるエフェソだ。


クリスマスのミサを終え、夕方の便で、♫飛んでイスタ〜ンブ〜ル...そしてトルコ第三の都市であるイズミールへ。トルコはアジアとヨーロッパを繋ぐ国。日本との時差は6時間。夜中の2時現地入り。

今朝9時に日本語を話すガイドさんがやって来た。

イズミールから古代都市エフェソスのあるセルチュクまで約200キロ。車で移動。寝不足の母子、爆睡。

遺跡観光の前に、聖母マリアの家による。


イエスがゴルゴダの丘で亡くなり、イエスの弟子の一人であるエフェソスへ移住。西暦40年エフェソス近くの山中で聖母マリアが亡くなった、と西暦431年のエフェソス公会議が認定。

真実のところは不明だが、67年に当時の教皇パウロ6世が、79年に聖ヨハネ.パウロ2世が訪問している。

イエスの受難は、マリアの受難につながる。私の巡礼の旅が始まった。

続く...

57日前

主のご降誕おめでとうございます。
 
昨夜は、何年ぶりか家族5人で夕食を共にし、私は夜の10時半に聖歌隊の練習があるので教会へ出かけた。11時15分から祈りが行われ、深夜ミサが12時から行われた。クリスマスミサは割に早いので、1時には終了。別室に移動して、皆でパネットーネヤパンドーロをスプマンテで頂き、お祝いをした。
 


 
プレセピオにもバンビーノ•ジェズー、幼いイエスが飾られた。画像は、主任司祭の私物なんだそうだが、ボルツァーノ産でなんとかという木で作ったものなんだそうだ。とても穏やかな優しい感じ。
 
帰宅してすぐに眠りについた。今朝はとても穏やかな気持ちで朝を迎えた。
 
ところで、先日FBで長女がとても心に響く文章を紹介していた。
 


 
一人でいることを学ぶ必要がある。一人でいると他者とい ることを学ぶことができる。あなたにはそれが必要。学校で一時間、孤独に耐えることを学ぶ教えが必要だ。
 
ご近所に未亡人のおばあちゃんが多く、今年の春何気に、「孤独」に関して考察してみた。
http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12144819008.html
 
 
>「孤立」は、自らが他人とのかかわりを断つところに生じるが、「孤独」は、むしろ他人との関わりの中で感じとられる。(上記)未亡人のお近所さんは、今回のような(クリスマスや)復活祭休みなど、街が静かになったり、けれど、あるところでは、家族が集う時期だと思うほど、余計に「自分は一人」という寂しさを感じてしまうようで、嫌だ、と言っていた。
 
また逆に、以前、ローマにいらした日本人神父の方が、時にナポリの下町の雑踏の中に敢えて行きたくなる、とおっしゃっており、ほう...と思ったことがある。私など、普段慌ただしい生活をしていると、海や山の中に篭りたくなるが(でも1日2日が限界であろう)、逆に人間味を感じるために雑踏へ行きたくなるケースもあるのだ、と改めて知った。
 
人間は、孤独な人を慰めるためには自分が孤独を味わってみないとできないと思う。まさに、長女が紹介したフレーズそのものだ。
 
イエスが生まれる時、どこの宿舎にも断られ、静かな厩でお生まれになられたイエス。しかも、最後は十字架上で宙づりのままの姿でお亡くなりになられた。まさに、「宿無し」の一生を貫かれた。だからこそ、イエスは、私たちの心の中にすみ割れたいと切にねがわれたのだなと思う。それはご自分のためではなく、寂しい人のために。
 
寂しさは愛するためにあるのだと、以前大好きな渡辺シスターがおっしゃっていた。自分が味わっている孤独さから逃げることなく、それをおりまで飲み干す時にのみ、「私は世の終わりまで、いつもあたなと共にいる」と約束された主の愛が、心に深く染み渡る。
 
慌しく、騒々しいクリスマスではなく、静けさの中で、孤独を考察し、お互いが赦し合い、微笑みを通してやさしくしあって生きていきたいと思う。そうやって人間味が深まるのではないだろうか。
 
闇の中に置かれ、それまで知らなかった様々な「明るさ」がありがたく感じられるクリスマス。それまで「当たり前」だったことが、光輝いてくる。
 
これぞ、クリスマスの喜び。クリスマスの恵。
 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12109960544.html

57日前

いよいよクリスマス前夜。

 

クリスマスというと、楽しい面ばかり強調されすぎている。家族で集まり、食事を共にし、プレゼント交換。日本じゃカップルの日?!それも良し。けれど、昨日も書いたけれど、クリスマスは”喜びの日”

 

本来、私たち人間が神に対して犯した罪を赦してくださる神様がお生まれになって「よかった」と喜ぶ日。

 

本来、午前中友人宅でパスタを作るので一緒に作らない?と誘われていたが、だらだらしていたら10時になったしまった。何かとやることがありおせおせのクリスマスは良くない。結局キャンセル。午前中は次男と一緒にケーキを作った。

 

そして、ずっと勇気がなくてできなかった「ゆるしの秘蹟」(告解)に午後から出かけてきた。地元のパロッキアにいく気がせず、日本語を話される司祭がこの日ドウモにいらっしゃると連絡が入っていたので出かけたのに、不在であった。仕方なくイタリア語で。自分の告白は、日本語でしたいのに、聞くのは、イタリア語の方がストレートでわかりやすい。現金だ。Il Signore ha perdonato i tuoi peccati.  Va in pace e annuncia le grandi opere di Dio che ti ha salvato. 日本語版とは微妙に違う。あなたの罪は赦された。安心していきなさい。そして、あなたを救った神の大きな業を告げなさい。それまでしかめっつらでいらした司祭が初めて笑顔になって、祈りの生活をもってよいクリスマスを!と言ってくださった。告解室を出た途端に、涙が溢れ始め、ドウモの外を出たときは、嬉しくて涙が... これでやっと安心してクリスマスミサに与れる。

 

外は、すでに暗くなっており、ヴィットリオ•エマヌエルのガレリアが光り輝いていた。

 

 

こちらは、告解が終了した際、頂いた祈りのカード。ドウモのステンドグラスの中にある「東方三賢士の礼拝」。

 

 

三賢士の喜びと私たちの喜びは賛美である。

なぜならば、人生における長い旅は人類家族の歴史の小さなひだに存在すべてを動かす到達点であると認容されているからである。(アンジェロ•スコラ•ミラノ大司教)

 

主の降誕の神秘。

そして、三賢士の「確かにあの星を見た!」と言う確信がベツレヘムまで導かれていく...。

 

 

人生は長い旅。確かに見た星を求めて... 高い理想をもって生きていきましょう。

 

さあ、これから深夜ミサに出かけてきます。

 

 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12231413336.html

http://blog.livedoor.jp/s_sofia1317/

60日前

昨夜、いきなりインターフォンが鳴り、誰だろう?と思ったら、隣のアパートのドドのマンマだった。「チャオ!トモ!(彼女はプーリア出身で人の名前の語尾にアクセントをつける。したがって「モ」を強く発音する。)ちょっと降りてきて!」と言われ、外に出て行った。明日(今日)から彼女の実家のあるプーリアへ出発するという。ミラノから約1000キロの旅。エピファニア(1月6日)に帰ってくるから、と言う。クリスマスの挨拶として抱き合って両ほほにバッチョ。「私はいつも仕事で不在が多いけど、いつだって頼ってきてくれていいんだからね!」と言ってくれる。頼ることはほとんどないけれど、嬉しい一言!

 

イタリアの23−24日は, 日本でいう大晦日前後のように、女性は料理の準備に慌ただしい。スーパーへ行くと、人がごった返しており、キャッシャーが足りない!キャッシャーを開けろ!と怒鳴っている人が多かった。私は自動キャッシャーを利用するが、4台中1台は故障中。この時期、ありえないでしょ?

 

ところで、明日のクリスマス·イヴのミサの直前、お御堂の掃除を頼まれた。シスター3人、一般信者3人で大きなお御堂を隅々綺麗にした。私は長椅子担当。5、6人座れる長椅子は数えてみたら100席以上あった。日本的感覚だったら、水拭き?とも思うが、そこは乾いた布に、家具用のスプレーをかけ丁寧に吹いていく。最後はお御堂が輝いていた。気持ちいい。

 

今年はお御堂に新しいプレセピオが飾られていた。パパ様は,プレセピオの中に人類の希望を見るとおっしゃった。

 

 

詳細はこちら→

http://ja.radiovaticana.va/news/2016/12/21/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%BC%E3%83%94%E3%82%AA%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AB%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%82%8B%E3%80%81%E6%95%99%E7%9A%87%E4%B8%80%E8%88%AC%E8%AC%81%E8%A6%8B/1280828

 

ところで、聖書ではキリストの降誕を、神の愛の現れとして述べている。「神は、その御独り子を賜うほど、世を愛された」。つまり、神が私たちを愛された度合いは、その御独り子イエス·キリストを私たちと同じ姿で、私たちに同じ世界に住むようにと送って下さるほど、深く激しかったということか。

 

罪を犯した人間を、ただ救うためだけなら、何も御独り子をお送りになる必要はなく、「赦す」と一言おっしゃるだけでよかったかもしれない。そうなさらなかったところに、神の愛がある。神様は私たちと一緒にいらっしゃりたかったのだろう。

 

クリスマスの喜びは、私たちが「愛されている」という喜びであり、「共にいてくださる」喜び。逆に、神様からすれば、「私はあなたたちを愛している。だから、一緒にいたいのだ」という、メッセージがこの幼子の誕生という形で表された喜びといえよう。

 

この幼子イエスは「神のみ言葉」。言葉は意思を伝達する。そして、み言葉は肉となる。これぞ受胎の神秘。聖書はシンプルのようで難しい。

 

Buon Natale!

Merry Christmas!

クリスマスおめでとう! 

 

今年こそは深い喜びをかみしめたい。私たちは神様に無条件に愛されている。これってすごい!!

 

完全な人は誰もいない。私たちは皆、間違いを犯し、人を傷つけたり悲しませたりしている。そこでイエスは私たちの過ちや罪を背負って、私たちのために十字架で亡くなった。それにより、私たちは過ちは赦され、永遠の命が与えられる。

 

私は祈る...私のすべての過ちを赦してください。あなたの愛を感謝します。私の心に入って、あなたからのプレゼントである永遠の命を与えてください、と。

 

今年のクリスマスが、あなたにとって真の意味があり、イエスの深い愛を感じられるものとなりますように。

61日前

 

回遊魚は止まると死んでしまうと聞いたことがあるが(実際はそうではないらしい)、あなたも止まったら死んじゃうんじゃないの?とよく冗談を言われる。

 

死んじゃうんじゃなくって、眠り込んでしまう習性がある。(単なる寝不足?冬眠?!)特に喋ってないとどうしようもなくなる。

 

クリスマス前のラストスパート、歯医者でもこくり。痛み止めの使用方法を説明されている途中、フリーズ。「シニョーラ、話聞いてる?」今朝も、美容院でカット中、頭がカクン。襟足を揃えているところだったので、「マンマミーア!フェルマティ!!」じっとしててよ!って乳幼児じゃないんだからさあ...

 

止まるな進め。私は、マグロやサバ、サンマたちと一緒かい?!そんなキャパも毎年更新されるから、自分でも限界に挑戦か?と思ってしまうが、いい加減年齢を考えないといけないな。

 

何が大切か大切ではないか、識別する目が必要だ。真実に基づいて、できないものは「ノー」と言いたい。今までは罪悪感を感じていたが、あれもこれもと抱えて、どれをも中途半端にする方が良くない。自分を守る知恵を持つこと。長く生きるため、生活するために、知恵、懸命さ、柔和さは必要だろう。

 

さすがに、アラフィフ以上になると1日をどう生きたか、その積み重ねの中に結果が出てくる。選び方は咲かせ方。ポジティブなエネルギーを活かしていこう。自分に与えられた使命を悟って、毎日の生活を培っていけますように。

 

 

ミラノの日常 第2弾

作者:ミラノのそふぃあ

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで19年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

7日 33 総合 1571 いいね

↑投票してね!

人気投票ボタン配置はこちらから



ミラノのそふぃあさん新着記事



過去記事

ミラノのそふぃあさんへの新着コメント




ミラノブログ・Facebookページ人気ランキング

1位 mimitalyの新☆イタリア生活 ~歌をうたいたい~
2位 イタリアより食とワインと山の魅力を
3位 vatienne
4位 パドヴァのとっておき。
5位 Tatsunosuke Satake blog
6位 Rapporto!?da Genova(New)
7位 ☆ レインボーの光と宇宙の無限の愛に包まれて ☆宇宙と共鳴してわくわくしよう!☆
8位 イタリア料理とイタリアワイン


あなたのブログ・Facebookページをもっと多くの人に読んでもらいませんか?ミラノでのブログ・Facebookページをお持ちの方は是非ご登録下さい。

ブログ・Facebookページ登録