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ミラノの日常 第2弾

61日前

 

今日、急ぎの用があり目的地へ走っていたが、ふと目にしたものが気になり、また数メートル戻って画像を撮った。

 

レンギョウだ。日本のレンギョウとは、また葉が違う。調べてみたら、レンギョウ属には、東アジアに8種、ヨーロッパに1種あり、また交配種というのもあるらしい。

 

何れにしても、病虫害にも大気汚染にも、また暑さ、寒さにも強く、しかも挿し木も簡単だと言う。

 

ミラノでは3月より前に、常に満開している記憶がある。春告花、迎春花とも呼ばれ、早春のアパートの庭や生垣に咲いており花をびっしりとつけて咲く。

 

レンギョウの花言葉は、「期待」「希望」「集中力」

 

「芽」は「草冠」に「牙」と書く。漢字の成り立ちを調べてみたら、「牙」がもつ力強く鋭い印象と、茎や枝から力強く先端を尖らせて出てくる様子を重ねてこの漢字は生まれたようだ。

 

ずっと冷たく寒い冬をこらえ、新たな芽を誕生させることは、本当におめでたいこと。大変喜ばしく、感嘆し、愛おしく思う。考えてみれば、どれも目出度い(芽出たい、愛でたい)だ。

 

新芽の持つ生命力の強さと勢いを見、非常に嬉しくなった。

 

希望を持って、前に進みましょう。

 

63日前

 

 

ペンギンは子供に餌をあげるのではなく、餌の魚の捕り方をを教えてあげるという。それが、ペンギンの教育。だから、ペンギンたちは、誰に言われなくても自由に生きている。いいなあ。

 

親バカチャンチャカリンではあるが、どうしても、子供達に「あれはしたの?」「これはどうなっているの?」とついつい口を出してしまう。その度に「うるさいなあ。」と怒鳴り返される。それで、できなきゃ自分の問題。とわかりつつも、手はだすが、口も出すが、お金は出さない。爆 そして、子供たちも大抵は「やった」とはいうが、やっていなかったり、やっていても忘れていく始末。あちゃー。そこまでは知らんよ!!

 

ところで、「させる勉強」から「する勉強」にさせるのは、非常に難しい。出来る子はできるのに、なぜ我が家はダメなんだ?私が口を出すからか?

 

私は、子供の頃、親にうるさく言われた記憶はない。決して成績が良かったわけではないが、努力と妥協のミックスで、それなりに自分の納得のいく人生になっていると思うが、子供達を見ていると、この先どうよ!!と言いたくなってしまう。

 

子供が小さい頃は、させなければ勉強は始めない。だから親の協力が必要だと学校からひっきりなしに言われる。しかし、させることに慣れてしまうと、子供たちは言われなければやらない子になってしまう。

 

そして、大きくなっても見かけるのは、言われたことはできるけれど、自分からは何もできない。何をしていいかわからない子の多さ。

 

補習校の高等部の先生は、毎回「”何がしたいか”ではなく、”何をしなくてはならないか”を認識せよ。」とおっしゃる。確かに、補習校に通う限りは、何をしたいかではなく、そこでしなくてはならないことをしなくてはならない。(通う限り)けれど、個人的には、常に「”何がしたいか”と同時に”今、何をしなければならないか”を合わせて考えられる人」になることが大切だと常に思う。

 

もちろん、その両者が競合するときは、”しなければならないこと”を優先して行える判断力と意思の力が必要。

 

また、”してはいけないこと”にしても同様だ。誘惑に負けない、強い心を持たなければならない。長男なんて誘惑に負けっぱなし。プライドを持て!

 

朝起きることとて然り。目覚まし時計とともに起きろ!時間は守れ!プライオリティーを決め、生活の随所にブレーキをかけろ!!...と書いて、結局自分に全て戻ってくる言葉だから情けなくなってしまう。あちゃ〜。涙

 

それとは別に、自分のしたいこと(欲望など)「したい性」を優先してしまい、ましてやそれが伸び放題になってしまうと、「主体性」は伸びない。子供達が真に自由になるためには、自分に「待った」をかけられる強い自分を育てることも必要だろう。

 

結局最終的には、大人がまず自分の「したい性」を抑えて、主体性を身につけて行かなければならない時もある。子供の前での携帯電話などもそうだろう。人は自分が持っていないものを他人に与えることはできない。

 

なんだかんだいってやっぱり私自身、ペンギンに学ばねばなりそうだ。苦笑


 

 

64日前

 

いよいよ日本でも映画「沈黙」が始まる。

 

先日映画「沈黙」に関し意見を書いたばかりだが、昨年の今頃、ミラノのあるイベントでサンフェデーレ教会というところを見学に行っており、当時の日記を読み返し、ぜひ殉教について書きたくなった。

 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12117520680.html

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12117574156.html

 

このサンフェデーレ教会はイエズス会に属しており、16世紀当時イエズス会東インド管区の巡察師として活躍しておられたヴァリニャーノ神父の発案により九州のキリシタン大名、大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代として4名の少年の天正遺欧使節団がローマへ送られており、ミラノにもよっているはずなのだ。(1582年-天正10年)

 

使節団は4名だった。しかし、彼らは帰国し、神学校に入り、司祭に叙階したのは3名のみ。一人は、棄教したばかりかキリシタンを弾圧する側に回ってしまったというから、驚いた。残り3名、伊東マンショ、原マルティノ、中浦ジュリアンが叙階し、ジュリアンが棄教を迫られ、逆さ吊りの刑にあい殉教している。

 

それとは、別に2011年3月。東日本大震災があった際、前年のカンヌ国際映画祭においてグランプリを受賞した「神々と男たち」という映画が日本でもイタリアでも上映され始めた時だった。1996年にアルジェリアで起きた武装イスラム集団によるとされるフランス人修道士の誘拐、殺害事件を題材に、人間の尊厳と使命を問うドラマ。テロの恐怖に直面した修道士たちの心の葛藤を描いている。命とは?勇気とは?そして信仰とは?

 

 

 

日本では、震災前の3月5日からシネスイッチ銀座で上映されはじめたばかりだった。そして信者の友人もこの映画を観に行った日に、地震にあい、中断し日比谷公園に避難し、その後、6時間半かけて歩いて帰宅している。私は震災の6時間後に映画を観に行っていることになる。

 

映画を観直したくても、どうしても震災のことを思い出しそうで、怖くて観れず。けれど、「沈黙」とは違った意味での殉教を描いているが、信仰がふかまれば、いかなる宗教、階層、肌の色、国籍、貧富の差も存在しないと思い知らされる。どんなに恐ろしい緊張にも屈せず、自由でいられるか人間とは・・・という問いにもつながる。FB上で映画「沈黙」をすでに観たイタリア人たちは、これぞ信仰。我々も沈黙しないといけない。という声を多々聞いた(読んだ)が、苦しい選択だ。


愛という全能のエネルギーによって、存在し、生かされ、活動させられている私たち、人間。神の愛。そして真理。

 

2008年には、長崎にて、日本の「ペトロ岐部と187殉教者」が福者に列せられている。1603年から1639年にかけて日本各地で殉教した日本人のカトリック司祭、修道者、信徒であり、司祭になるべくローマへ徒歩でいったペトロ岐部や上記、天正遺欧少年使節の一人である中浦ジュリアンらも含まれている。

 

殉教から何を学ぶか、今年の四旬節の私のテーマかな。

 

*画像は、中山正美「都の大殉教」よりテクラ橋本と子どもたち(バチカン美術館蔵)

http://www.kyoto.catholic.jp/hp/jihouy08/y0810/cn200810.htm#a

 

 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-10834637973.html

 

66日前

 

1月1日

Affidiamo a Maria Santissima Madre di Dio il nuovo anno, perché crescano la pace e la misericordia in tutto il mondo.

平和といつくしみは世界中で大きくすることができるので、新年において神の母、マリアにゆだねましょう。

 

 

1月2日

All’inizio di questo nuovo anno porgo i miei sinceri auguri di pace ai popoli e alle nazioni del mondo.
この新しい年の始めに当たって、世界中の全ての人々と国々のために心から平和を願います。

 

 

1月3日

Possa la nonviolenza diventare lo stile caratteristico delle nostre decisioni, delle nostre relazioni, delle nostre azioni.

非暴力こそが私たちの決断、人間関係、行動を特徴づけるしるしとなりますように。

 

 

1月4日

Essere veri discepoli di Gesù oggi significa aderire anche alla sua proposta di nonviolenza.

 

今日, イエスキリストの真の弟子であるということは, 非暴力の提案にも固執することを意味しています。

 

 

1月6日

Che siano la carità e la nonviolenza a guidare il modo in cui ci trattiamo gli uni gli altri.

どうか優しさと非暴力が、私たちが互いに関わり合う際の態度となりますように。

 

Come i Magi, anche noi camminiamo attenti, instancabili e coraggiosi, per trovare il Dio invisibile che è nato per noi.

私たちのためにお生まれになられた目に見えない神を見つけるために、私たちも博士たちのように、注意深く、不屈で勇気を持って歩んでいきましょう。

 

 

1月7日

Ricordiamo i fratelli e le sorelle dell’Oriente cristiano, cattolici e ortodossi, che oggi celebrano il Santo Natale.

今日東方の正教会のキリスト者たちがクリスマスを迎えたことを思い出しましょう。

 

 

1月8日

La Vergine Maria ci aiuti a seguire Gesù sulla via della fede e della carità, la via tracciata dal nostro Battesimo.

洗礼によって始まる信仰と愛の道においてイエスに従えるよう、おとめマリアの助けを願い求めましょう。

 

 

1月9日

Non ci può essere pace vera se ciascuno rivendica sempre e solo il proprio diritto, senza curarsi del bene degli altri.
もし全ての人が自分の権利ばかりをいつも主張し、他の人の善を気にかけなければ、真の平和はありません。

 

 

1月10日

Auspico che possano crescere fra i nostri Paesi e i loro popoli le occasioni per lavorare insieme e costruire una pace autentica.
真の平和を築くために共に働く機会が、私たちの国々で、また諸民族の中で増えていくよう期待しています。

 

Ciascuno può contribuire ad una cultura della misericordia, in cui nessuno guarda all’altro con indifferenza.
あらゆる人はいつくしみの文化のために貢献できます。そこでは誰一人、他人を無関心の目で見ないのです。

 

 

1月11日

I migranti minorenni, specialmente soli, sono particolarmente indifesi. Diamo loro tutti una mano.
未成年移住者、特に親が一緒でない場合、彼らには頼るものがありません。彼らに手を差し伸べましょう。

 

 

1月13日

I bambini costretti alla fuga, specialmente se sono soli, sono i più indifesi e vulnerabili. Preghiamo per loro e aiutiamoli. 
紛争から逃れなければならない、中でも一人で逃げざるを得ない子どもたちは最も無防備です。彼らのために祈り、手を差し伸べましょう。

 

Lo sfruttamento senza scrupoli fa molto male ai bambini trattati come merce e resi schiavi. Dio benedica quelli che li liberano 
悪徳の限りを尽くす搾取によって、子どもたちはモノや奴隷として扱われ傷つけられます。この子らを解放する人々を、神が祝福してくださいますように

 

 

1月15日

La Santa Famiglia vegli su tutti i migranti minorenni e accompagni quelli vulnerabili e senza voce nel loro cammino.
聖家族が移民の子どもたち皆を見守り、彼らの歩みの中で最も弱い、声なき子らに同伴してくださいますように。

 

Non potrà mai esserci vera pace finché esisterà anche un solo essere umano che viene violato nella propria identità personale.
一人の人間が個人的なアイデンティティに犯される限り真の平和はありえません。

 


PapaFrancesco@Pontefix.it

 

 

〜•〜•〜•〜•〜•〜

 

 

今年の元旦のごミサでは、神の母聖マリアに捧げると共に,「世界平和の日」を記念し、また今年で第50回を迎えた「世界平和の日」のテーマとして、「非暴力、 平和を実現するための政治体制」について訴えられた。

 

「この一年が良いものとなるためには、わたしたち一人ひとりが、 神の助けによって、 毎日善を行うように努力することにかかっています。 憎しみや暴力に実際に「ノー」と言い、兄弟愛と和解に「イエス」 と言うことで、平和は作られていきます。」とパパ様。

 

その後もパパ様は、難民移民たち特に子供たちに救いの手、 およびあらゆる形の保護を呼びかけておられる。

 

神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、我らを憐れみ給え。

神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、我らを憐れみ給え。

神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、われらに平安を与え給え。

 

これは、全教会の使命。教会は自分自身ではなくイエス・ キリストを全世界に唯一の救い主として宣言する。 キリストだけが人々を罪から救い解放し終わりない真の生命と自由 へと導くことができますように。

66日前

 

若い頃から、肩こりがひどく、指圧や針の治療にはよく通っていた。

 

イタリアに来てからも、子供ができる前は、スポーツクラブに通い、プールにも通った。しばらく何もしていなかったが、次男が生まれる直前からヨガを始め、それから太極拳、そして空手に移行。それでも、定期的にマッサージには通っていた。

 

この春で空手を始め、丸2年になるが、肩こりが嘘のようになくなった。汗も出るようになった。それが良いのだろう。編み物はするが、根を詰めないようにし(ある意味、すでに見なくても感覚で編んでいるが)、まずいと思ったらしばらく休む。

 

それが、最近の冷えのせいか、どうもすっきりしない。我が家のお風呂は、ガスではなく電気なので、お湯をためるのも時間がかかるし、貯めている間に冷めてしまうから、湯船に浸かることはまずない。シャワーのみ、というのもよくないのだろう。空手仲間のフランチェスコ爺さんには、足湯だよ、足湯!といつも言われるが、最近はサボりがち。

 

...というわけで、約2年ぶりにタイマッサージに出かけてきた。

 

タイマッサージは、約2千5百年の歴史があるという。その創始者は,今から約2千5百年前の時代を,釈尊と共に生きていたインドのシワカ•コマラパ氏とされており,彼は仏陀の主治医であり,サンガ(仏教僧の集団)の筆頭意志として活躍していたのだそうだ。

 

いずれにしてもタイマッサージの手技は,指圧•マッサージ,ストレッチ,整体•矯正の3つの種類に大きく分けられ,こった筋肉をほぐし,緩んだ筋肉をストレッチで伸ばし,最後に歪んだ背骨や間接を矯正するというトータル的な手技療法で,マッサージをする人と,受ける人と2人3脚でのヨガとでもいおうか?また,手の平や指先だけでなく,肘や膝,拳や足をいった部分も使い,すべての動作をゆっくり行なうため,マッサージをする側にも体の負担は比較的少ない。

 

いつも通っていた所は,タイでマッサージの資格を取得したものだけが働いており,過去に何人かにやってもらったが,相性というものがある。私が指名する人は、友人が”ミニスカポリス”と呼んでいた”オッキー”。私の体を把握してくれているんだな。

 

ちなみにマッサージする側もされる側も呼吸があってくるようになると,吐く中心の長い呼吸になるため,酸素がよく入り,炭酸ガスが排出されるため,体質の酸性化を防ぐことができるという。

 

マッサージ師はプロだから,体をさわるだけで,どこがこっているかわかるそうだ。今回は内臓がかなり硬くなっており、お腹を割合たくさんマッサージされた。その裏側になる腰の部分もガチガチ。痛くて悲鳴が出そうだった。しかも,ベッドを温めてくれたので,体も自然と楽になり,しらず知らずのうちにうとうと寝てしまう。今回は初めから約1時間半爆睡。

 

頭の先から足の先までリラックスし,最後に背骨,特に今日は肩甲骨の間あたりをボキっ,ボキっとならされる。そして、背中合わせで持ち上げらるのだ。(でも私、上半身裸なんですが...)筋肉がほぐれた時,脳と体はやらかくなり,体も心もリラックスできる。 また,筋肉を十分にほぐし,筋肉内または,リンパの流れが良くなるからか老廃物を外に排出しようとするので,毎回終わると同時にトイレへ直行。そこですぐに出していただく温かい紅茶で心もほんのり温まる。至福の時。

 

その後、ミサに与り、心も安定して帰宅した。

 

コップンカー。

ミラノの日常 第2弾

作者:ミラノのそふぃあ

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで19年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

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