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ミラノの日常 第2弾

18日前

 

上記はこの夏のオラトリオのアニマトーレの公式Tシャツとロゴ。

 

明日から一ヶ月、夏のオラトリオが始まる。オラトリオでのボランティア3年目。しかも責任者昇格! 苦笑 って偉い訳じゃありません。誰もいないから。涙

 

ミラノ大司教区には約1000ものパロッキア(教区教会)があるのだが、今年の夏のオラトリオの申込者は例年の10%を越え、40万人が参加すると言われている。3月にパパ様がミラノ司牧訪問された際、パロッキアに行こう!オラトリオに行こう!とおっしゃった影響もなしにはあらずだろうし、この長い夏休み、子供達は何かしらの夏のコースに参加したりするものだが、どれも有料で金額もピンキリ。市が行うものは、人数制限もあり、予約がすぐにいっぱいになってしまったりして、結局手軽なのが、地元のオラトリオ。カトリック信者だけを受け入れるのではなく、祈りの時間はあるものの宗教関係なく、誰でも受け入れる。

 

話は前後するが、パパ様がミラノ訪問された際、オラトリオへ行こう!という話題は、ある俳優も自分はオラトリオで成長したということ、オラトリオがいかに素晴らしいか、と言い、散々TVやネット、雑誌などで取り上げられたのだが、ある月曜日、私がオラトリオの担当の際、イタリア人のご婦人がいらして(しかし私が行く日曜日のミサにお見かけする方ではなかった)、「パパ様はオラトリオへ行こうと仰ったが、なぜ、このパロッキアはイタリア人の子供達が少ないのか?なぜポポラーレ(低所得者地域)の子供達、特にアラブ系を受け入れるのか?彼らは非常に躾がなっておらず、しまっているオラトリオに忍び込んでいるのも見たけれど、放っておいて良いのか?」などなど言ってきたのだ。確かに、それはすべて事実である。このサンシーロ地域は、人種、宗教の坩堝であり、貧富の差も激しい。我が家の子達も、このオラトリオにだけは来たくないと言ったし、実際次男は2年間夏のオラトリオに参加したが、いつも嫌な思いをすることがあって、行かない、辞める!と大騒ぎする。

 

これは、はっきり言って宗教の問題ではなく、家庭環境の問題であろう。経済的なものもあれば、家族の形の問題でもある。けれど、それを今言ったところで始まらない。彼らをいかに教育というと上から目線かもしれないが、心から受け入れてあげて、心を開かせ、共に生きること、協力しあうことの素晴らしさを教えるか...と言いたいところだが、あまりにも理想的すぎるな、美談すぎるな...と私自身、気が萎えてしまうというか、疑問と葛藤が残る。これは地域への挑戦、そして私自身への挑戦でもあるな...と思うのだ。

 

ところで、夏のオラトリオは申し込みに15ユーロかかるが、参加日は一週間5ユーロ。つまり1日1ユーロ。朝の8時から9時半くらいまでに行けばよく17時まで。食事は週3回、1食2.5ユーロ。週に2回、遠足とプールに行くが、随時少額ではあるが、お金がかかるので、参加、不参加は自由。少なくとも3日間、食事のある日は本来は宗教上、または健康上問題がある人のみ、持ち込みを許していたが、最近は経済的問題もあるので、持ち込みを許している。昨年までは、パロッキアに住み込みの男性が1度に10キロのパスタを準備していたが、彼も定年でいなくなってしまい、作る人が誰も見つからず、聖歌隊のメンバーでケータリングサービスをしている人のご好意で安く引き受けてもらった。以前は、おかわりは自由だったが、人によっては2杯はいいとしても、3杯も4杯も食べられてしまうと、やはり不公平感が出てきてしまう。なので、今年は、お金を払った人のみに提供し、くれぐれもお代わり無し!と言われているが、厳しいなあ...と思う。

 

友人のお子さんがアニマトーレをするオラトリオ(比較的移民は少ない)は400人の子供達を受け入れるというが、我がオラトリオはせいぜい150-180人くらい。それでも元々資金のないところに支払えない家庭も多く、それでも受け入れるわけだから、じゃあたりない分は実質上どうするの?という問題が出てくる。きっと担当司祭も悩んだのだろうが、”地域の心ある信者の方へ”という手紙が各家庭のポストに入っていた。

 

それには、この地域での移民問題、そして経済格差(イタリア人でも南イタリアからの移民が多く、職業的にもホワイトカラーというよりは、ブルーカラー、または失業中という人も多い)などなどが綴られており、オラトリオの子供達の将来のために協力を頼む、というものだった。だが、どれだけの人がそれに賛同したものかどうか...特に私の住む通りは、本来私の通うパロッキアが所属だが、隣のパロッキアに通う人がほとんど。長男が小学生時代に小学校をそのパロッキアの前にある学校にかえたため、クラスメートは皆カテキズモにそこへ行くからといって、彼も所属教会の変更届けを提出してそのパロッキアでカテキズモを受け、洗礼、初聖体、堅信を受けた。そのため、私もそのパロッキアにもちょくちょく顔をだしていたが、まず同じ地域でありながら、ぐっと雰囲気の違う通りにあり、やはり通う信者の生活層の違いは明らかだ。それで人間に差があるのか?と言ったら、話は違う。それ以前に、そう比較すること自体、カトリック信者として正しいことではない。けれど逆に、共同体としての横の付き合いが表面的のような、よそよそしさを感じるものがあった。そこでの夏のオラトリオは毎週、ピエモンテ週の山へキャンプへ行くだけで、パロッキアは閉まったまま。全体としてのオラトリオの活動はない。それでも富裕層であれば、別にオラトリオにこだわらず、プライベートの夏のコースへ子供を通うわせることは可能だ。

 

司祭の手紙の件に戻ると、夏のオラトリオを維持するための里子プログラム、また中学生のキャンプ、高校生以上のキャンプ、またパロッキアの暖房費支払い協力の嘆願書でもあった。高校生以上に関しては、7月にナポリのスラム街でのボランティア活動を行うための旅費及び維持費への協力依頼であった。さすがに私も収入があれば、多少は寄付ができるものの、自分が自由に使えるお金がないからそうそう寄付はできない。

 

それにしても、ここ数年オラトリオでボランティアをしてきて思うのは、助け合いはもちろん大切だ。ただ、助けられることに慣れてしまい、ずーっと与えられ続け、徐々に自立心を失っている人々も見かける。じゃあそこで劣等感が生まれているのか?というとそうでもなさそうだ。決して私は自分たちの方が優れているとは思っていない。思うはずがない。けれど、何か変だ。しかも、言動の悪い子供たちに会うと非常に心が乱されてしまう。私はここで何をしているのだろうか?とさえ思ってしまうのだ。

 

ボランティア仲間の中には、自営で働きながら、昼休みを利用し、急いで地元に戻ってきて手伝っていく人もいる。寄付、与えられるものは、お金だけではない。時間だってそうだ。時間は貧富の差なく、皆平等なのだから、その中で時間を作って誰かのために役立とうとする努力は立派だ。なので、私は、オラトリオに参加する保護者も何かしらの形で協力できないものなのか?とも思う。

 

責任者となり、夏のオラトリオをサポートする大人、保護者を取りまとめているが、蓋を開けてみないとどれくらいの子供たちがやってきて、しかもどんな子たちがやってくるのかわからないが、スタッフのドタキャン、手伝いできる曜日の変更なども多々あり、明日からどんな生活になるのかドキドキハラハラ。

 

また夜10時を過ぎて、知らない番号から私の携帯に電話が入った。いたずら電話、迷惑電話も多いため、嫌だな...と思って、しぶしぶ出ると、南米訛りのイタリア語だった。また、詐欺まがいの電話か!(先日無線タクシーを呼んだくせに私がこない!という南米なまりのクレームの電話があった。誰が、電話したって?私がしてないっていってるんだからしてるはずないでしょ!と激怒した。)と思うと、オラトリオを手伝いたいのだが、T子と直接話して!と司祭に言われて、この番号をもらった...という話だった。ボランティアのドタキャンのしわ寄せに頭を抱えていたので、救いの電話であった!

 

いやいや、明日は蓋を開けてみないと何がどうなるのかわからない。そしてこの地域が抱える問題は根が深い。私の苦悩と葛藤は続きそうだ...

 

 

18日前

 

ついに長い長い夏休みに突入した。

 

昨日、次男の学校に成績表を取りに行ってきた。一人で来ている人。子連れの人。保護者二人で来ている人。家族で来ている人、様々。ただ、成績表をもらって署名するだけなのに、まー待たされる待たされる。特に私の前に並んだ家族のご主人が、クラスの食事会で私の隣の席だったのだが、まー喋る喋る。その後、空手の稽古があったが、お陰で遅刻してしまった。ちなみに、1、2年生の進級発表がすでに学校の入り口に張り出されていた。amesso/non amessoと表示されるが、ほとんどが進級。(一応義務教育だし)それでも数人何か説明書きが付いている生徒もいるようだった。

 

そして、うちの長男。すでに2度も留年し、現在プライベートの学校で2年まとめて学習中。試験を受けてパスすれば、9月から始まる来年度は高4として復帰できる敗者復活戦ウイーク突入。親だって高いお金払って投資してるんだ、命かけて勉強せえ!高校くらいでないと、中卒だぞ!と脅す。自分の人生だ、自分に責任を持とう。英語の「責任」という言葉は「response-ability」と書く。「答える能力」だ。私たちはいろいろな責任を負っているが、その最大のものは、自分の人生をいかに過ごすかに対しての責任だ。

 

それにしても、子供のことで一喜一憂、情けない。神様、子供に何が起きようとも、どんと構えていられるくらい強い毛の生えた心臓にしてください。爆 

 

とはいえ、堂々巡りになってしまうが、人生において体力も気力も充実していて、伸びしろがある若い時をどう生きるかが大切なんだよ、と言いたいが、私が言えば、「うざい」となる。でも、誰もに対して平等なのは「時間」だけ。いかに自分に時間の投資をするか。その使い方によって、その後は変わってくるのになあ。若い時=今を「夏」とするならば、「将来」は冬。蟻とキリギリスに学ぼう。

 

蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る人、高きあり、賤しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕べに寝ねて、朝に起く。いとなむ所何事ぞや。生を貪り、利を求めて、止む時なし。身を養ひて、何事かを待つ。期する処、ただ、老いと死とにあり。その来る事速かにして、念々の間に止まらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。惑へる者は、これを恐れず。名利に溺れて、先途の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は、また、これを悲しぶ。常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。(徒然草by兼好法師 第74段)

 

<口語訳>

蟻のように集まって東西に急ぎ南北に走る。身分の高い者あり賤しい者あり。老いたるあり若きあり。行く所あり帰る家あり。夜寝て朝起きる。人の営みは何なのだろう。やたらに長寿を願い、利益を求めてやまない。身を養って何事を待つというのか。頼む所は、ただ老と死とにある。それは速やかにやってくるのであり、時々刻々の間に留まらない。これを待つ間、何の楽しみがあろうか。世俗にまみれている者はこれを恐れない。名利におぼれて終着点たる死の近いことを顧みないからである。愚か者はまたこれを悲しむ。不死であることを思って、世の中の万物は変化するという物の道理を知らないからである。

 

バタバタ働いて、長生きと利益に執着したところで、待っているのは老いと死。この世が永久不変じゃなくて、万物は流転する。その中でいかに生きるかが問題なのである。

 

 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12037456959.html?timestamp=1433948345

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12169802211.html

https://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12047673248.html

19日前

 

菱川師宣《見返り美人図》東京国立博物館蔵

 

プランクとスクワットを始めて1年。体型が変わった。喧嘩売ってる?とよく友人に言われるが、体重も2キロちょっと増え、10数年、いや20数年ぶりに50キロ台になった。これって筋肉?!  だとしたら、今までどれほど筋肉がなかったということか。

 

年をとると、仕方がないことかもしれないが、両親をはじめ、親類、年上の友人、知人たちが皆膝が痛いと言い出し、腰が痛い、あちこち痛いと言い出す。グルグルぐるぐるグルコサミン!って歌って覚えたものだが、いや、サプリの前に食生活を見直し、適度な運動と翌日に疲れを残さないほどの睡眠が大切でしょ。

 

話はもとい、個人的に腕立て伏せは嫌いだが、プランクは好き。年を重ねるごとに、体感は少しずつ弱くなっていくが、体に負荷がかかりすぎるトレーニングは長続きしない。(あくまでも私の個人の場合)体幹を鍛えることで、体全体の代謝がアップしていくと、自然に姿勢も良くなるし、血流やリンパの流れも良くなるから、肌の代謝も活発になり綺麗になり、いいことばかり。ただ、間違えないですることが大切。

 

 

プランクは腹直筋•腹斜筋と大腿四頭筋が、スクワットも大腿四頭筋とハムストリングス、そして大臀筋が鍛えられる。基礎体力が上がると太りにくい体を作ると言われていたが、実際肉が付きにくくなったのは実感済み。

 

ところで、歩いていると抜かされて振り向かれる様になった...がそのリアクションの意味がわかんない?!  喧嘩売ってる?! 爆 自転車に乗っていても、信号待ちの際、横に止まった車から覗き込むように見られることがある。「なんか文句ある?」その目、「なんだ、ばばあか!」ですか?!思わず中指立てたくなる。爆 

 

昨日も自転車に乗っており、信号待ちで止まると、ふと私の前で止まり振り向いて、「その後ろ姿、その髪型、絶対貴女だと思った!」、といって遠くからやはり自転車で猛スピードで追いついて来たママ友もいた。悪かったね!わかめちゃんカットで!苦笑

 

「見返り美人」と昔から言われているように、女性の後ろ姿は魅力的なよう。振り向いて「なんだ〜、ババアか!」上等だ!顔は多少の化粧でも誤魔化せるが、猫背だったり歩き方が悪いと、みすぼらしい。後ろ姿にはその人の『素』が映し出される。一度意識してみよう。

 

なつかしのCM。

 

 

 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12169021217.html

20日前

 

ずっと、このことを話したかったの
ずっと、このことを書きたかったの
ずっと、このことを伝えたかったの
透明のこと。

いちばん大事なのは、待つことです。
母性に立ち返るとき、問題は自然に解決します。
「いのちのうつしかえ」のとき、
人も透明になるのです。

透明だと、ほんとうに、生きやすい。
何かになろうとしなくても、
それは自分の中にすでにあるものです。
透明になって真実に生きていれば、
それがいつか必ず真実となってあらわれます。
だからわたしたちに今できることは、
ただ精一杯、真面目にていねいに生きていく、
これだけだと思うのです。

「限りなく透明に凛として生きる」(佐藤初女 著/ダイヤモンド社) 

 

 

なんと素晴らしいタイトルなのでしょう。まさに私がそうしたい生き方。シンプルライフは理想だけれど、私はどうしても、人に巻き込まれてしまう。いや、自分から飛び込んでいるのか?

 

ところで、著者の佐藤 初女(はつめ)女史は、日本の福祉活動家、教育者。1992年より青森県岩木山山麓に「森のイスキア」と称する悩みや問題を抱え込んだ人たちを受け入れ、痛みを分かち合う癒しの場を主宰。それ以前は弘前市内で自宅を開放して同様の活動をしており、こちらは「弘前イスキア」と呼ばれていたという。素朴な素材の味をそのままに頂く食の見直しにより、からだから心の問題も改善していくことができると訴えていらした。まさに日本のマザーテレサ。

 

昔から今まで変わらないのは、今日と明日が同じ一日であってはいけないという気持ちです。


必ず何か違うことがあるので、それに気づいてすみやかに実践していきたい。


大事なのは、そのときに起こる出来事をどうやって受け入れられるかだと思っていますから、たとえ突然お客様が見えても、わたしは会うことにしています。


訪ねてくる人も何かあって訪ねてきているわけだから、それを受けとめる。


その人が安らぐように、安心できるようにしたい、そう思うのです。


もちろん、体が疲れていたり、時間がなかったりすると、どうしましょうかという気持ちになりますが、それでもこの方は神様のお使いなのだと思って会います。


それで会ってみれば会ってよかったと思うんです。


「この出会いなくして、今のわたしはありません」


という言葉が好きなのですが、やはり出会いがあれば、そこに気づきと発見がありますので、どんな人でも会いたい。


このような毎日ですので、まわりからは時間をすべて人のために使っているように見えるようですが、わたしはそうは思っていません。


自分のためというわけでもなく、神様からいただいた時間というふうに考えているからです。

 

 

私は憂鬱になったり、不安になった時、本来だったら家に閉じこもっていたい気もするけれど、敢えてメルカートや人ごみに出て行く。そうすると、必ず知り合いに会うからだ。「元気だった?」「最近どう?」例え、「チャオ!」だけでも人とコミュニケーションをとることで、元気をもらえる。笑顔で癒される。

 

逆に自分が元気になりたかったのに、会った人に愚痴を聞かされたり、相談を受けることもある。けれど、その人が憂鬱や不安を吐き出すことで、少し楽になる顔を見ると、うわーっネガティヴ·パワーもらっちゃった!と否定するのではなく、その人の楽になった顔を見ることで、私も嬉しくなる。基本的に面倒だ、と思いつつ「人」が好きなんだろうなあと思う。そして「楽しい」ことが好き。

 

「この出会いなくして、今のわたしはありません」まさにそう。出会いがあれば、そこに気づきと発見がある。どんな人と会っても時間の無駄はない。要は、いかに出会う行動をしているかが肝心なのだと思う。声をかけられればどこにでも顔出すもの好きな私。いや、声をかけられなくても、ふらーっと出て行っているか?苦笑 一期一会。すべての恵みに生かされ、活かされている。

 

神様に感謝。

 

 

 

 

22日前

 

 

先月、女子会で毒を吐きながら、足裏マッサージをしてもらったら、体に溜まった毒素出しまくり(汚くてすいません!)デトックス効果大! その後の体の身軽さといったらたまらなかった!

 

次は、フェーシェルマッサージでほうれい線知らず!と言うことで、またまた出かけたきた。私の噂に尾ひれがついて、興味津々の人が多く、参加希望者は沢山いたようだが、とにかくこの怒涛の学年度末。予定がバッティングの方多し。9名の所、最終的に6名だったが、皆マッサージをしてもらい、プニプニほわほわ~いい感じ。

 

私は先日、ほうれい線を防ぐリンパマッサージを教えていただいたので、いいかな?と思っていたけれど、自律神経の問題か?どうも首ががちがちで偏頭痛もあり、腰から膝裏、足の裏も痛い気がしていたので、首とデコルテをマッサージしていただいた。

 

デコルテ(バストの上部から首、肩周辺)のお手入れはついつい忘れがちだが、これからキャミソールや水着を自信を持って着るには、やはりデコルテケアも大事。やはりこの部分がすっきりするだけで、印象はかなり変わる。ボディコンならぬ鎖骨コンシャス。歳はとってもデコルテは美しくいたいもの。

 

”心身一如”という言葉があるが、心と体は密接に関係している。健康でなければ本当の美しさは手に入らない。ドロドロリンパは、健康と美容に悪影響なのだ。

 

ゴッドハンド•エステシャンのYさんは、触れただけで体がポカポカしてくるような、暖かい手をしている。体に優しく触れ、また優しい口調で心と体をいたわってくれる感じ。決してきつくマッサージしているわけでもないのに、彼女が触れると、細胞の間に滞っていたリンパ液が流れ出し、みるみるうちに余分なリンパの重みが取れた分、下垂していた瞼や頬のあたりが上がる上がる、不思議不思議...↑

 

その後、食事をしていたら、急に代謝がよくなった友人は、体温が上がったのか、暑い暑いと言い出していた。実際体温が1度上がると、基礎代謝は13%アップすると言う。基礎代謝が上がれば、現在よりもエネルギーの消費量が増えるのでダイエット効果もアップ。また、ホルモンのバランスが良くなって、肌の美しさやはりがもたらされるという。リンパ排出との相乗効果で、トラブル肌や小じわが解消されたり、肌に透明感が出るなど、美肌効果も抜群だとか。

 

そうか、だからYさんは肌がもちもち美しいんだ!私と1歳しか変わらないのになぜ?強いて言えば、旦那が若いからでしょう!!と皆で大笑い。やっぱり若い夫、子供が小さいってのは、差がでるわね〜と納得。笑

 

そして、今回もとても美味しい持ち寄りパーティー。主催者のBB様のチェリーパイの画像を撮るのを忘れてしまった。この時期最高!甘酸っぱく、ザクザクしたパイは意外にさっぱり。

 

今回の参加者は私は全員知り合いだったが、かなりの人たちが初対面。それでも話は盛り上がり、よく食べ、よく飲み、よく笑い、楽しいひと時を過ごした。

 

持つべきものは、やっぱり友。

 

 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12274326958.html

ミラノの日常 第2弾

作者:ミラノのそふぃあ

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで19年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

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