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ミラノの日常 第2弾

22日前

 

ここのところ、イタリア人のDJ Fabo(ファーボ)と呼ばれる元DJの安楽死についてメディアで騒がれている。

 

 

 

Fabiano Antoniani(ファビアーノ•アントニアーニ)1978年生まれ。保険屋、ブローカー、レーサーなどを経験し、その後DJ Faboと名が知られるようになったが、2年前に交通事故に遭い、四肢麻痺、失明。当時は希望は捨てていなかったが、すべての治療法、リハビリにも回復の兆しが見れず、ついにSNSなどを通じ、安楽死を認めるよう国に訴え始めた。

 

結局、イタリアの法律は安楽死を認めておらず、彼はスイスへ行き、2017年2月27日、彼の意思にそって生涯を閉じた。

 

ここで, 8年前のちょうどこの時期にやはり安楽死として生涯を閉じたエルアナを思い出す。カトリックとしての見解を私の代母のシスターマリアが書かれ、また昨日、ヴァチカンのBagnasco枢機卿による安楽死に対する見解が新聞<Avvenire>に掲載されていたが、「人間の尊厳」とは何か?非常に難しい問題で、とても重い気持ちになってしまった。

 

http://blog.livedoor.jp/s_sofia1317/archives/2009-02.html

https://www.avvenire.it/famiglia-e-vita/pagine/bagnasco-intervista-su-eutanasia-caso-dj-fabo?utm_content=buffer19b38&utm_medium=social&utm_source=facebook.com&utm_campaign=buffer

 

授かった命は必ず返す日がやってくる。それでも死生観は人それぞれだ。

 

「生きていく」と「生きている」は一文字しか変わらないが、意味合いは全く違う。「生きていく」には、勇気愛情も必要だし、何よりもがいる。でも一人では生きていけないんだよね。

 

「死にざま」は「生きざま」だと言う。

 

せめて、死を迎えるギリギリまで精一杯生きて生きたいもの。

 

24日前

 

 

 

2月16日

Vi invito a lottare contro la povertà sia materiale, sia spirituale. Edifichiamo insieme la pace e costruiamo ponti.
物質的、精神的な貧困と闘うことを勧めます。一緒に平和と友情の橋を構築しましょう。

 

2月17日

Un cuore giovane non sopporta l’ingiustizia e non può piegarsi alla cultura dello scarto, né cedere alla globalizzazione dell’indifferenza.
若い心は、不公平に耐え、使い捨ての文化にも屈せず、無関心のグローバル化にも負けません。

 

2月18日

Quante volte nella Bibbia il Signore ci chiede di accogliere i migranti e i forestieri, ricordandoci che anche noi siamo forestieri!
どれほど聖書では、主は私たちに移民や外国人を受け入れるよう尋ねているでしょうか?私たちも外国人であることを忘れないようにしましょう。

 

2月19日

Sentiamoci spinti dallo Spirito Santo a individuare con coraggio strade nuove nell’annuncio del Vangelo.
私たちは福音を知らせる新しい方法をみつけるため、勇気をもって聖霊の動きを感じましょう。

 

2月20日

Se il male è contagioso, lo è anche il bene. Lasciamoci contagiare dal bene e contagiamo il bene!
もし悪が伝染しやすいなら、善もまたそうです。善に感染し、善を伝染していきましょう

 

2月21日

Dio sa meglio di noi ciò di cui abbiamo bisogno; dobbiamo fidarci di Lui, perché le sue vie sono molto diverse dalle nostre.
神様は私たちに何が必要か、私たち以上にご存知です。彼のとる方法は、私たちの物とはかなり異なるため、彼に信頼を置かなければなりません。

 

2月22日

Gesù ha affidato a Pietro le chiavi per aprire l’ingresso nel Regno dei Cieli, non per chiuderlo.
イエスは天国の入り口を開ける鍵をピエトロに託しました。閉めるためではありません。

 

2月23日

Non sottovalutiamo il valore dell’esempio perché ha più forza di mille parole, di migliaia di “likes” o retweets, di mille video su youtube
具体的な例をもって示すことの価値を、過少評価してはいけません。それは、無数の言葉や、1000の『いいね』、リツイート、
あるいはyoutubeのビデオよりもっと影響力があるのです。

 

2月24日

Nel cuore del cristiano c’è sempre la gioia. Sempre. La gioia accolta come un dono e custodita per essere condivisa con tutti.
キリスト者の心は、常に喜びがあります。常にです。贈り物として受けた喜びはすべての人と分かち合うために継続します。

 

2月25日

Annunciando a tutti l’amore e la tenerezza di Gesù, diventiamo apostoli della gioia del Vangelo. E la gioia è contagiosa!
イエスの愛と優しさを述べ伝えることは、福音の喜びの使徒となることです。喜びは伝播します。

 

2月26日

Perseveriamo nella preghiera, affinché si compia il desiderio di Gesù: «Che tutti siano una sola cosa».
イエスの願いを実現できるよう、祈りのうちに止まりましょう。「全てのものが一つでありますように。」

 

2月27日

Quando il nostro cammino è segnato dalla precarietà e dalle cadute, Dio ricco di misericordia tende la sua mano per rialzarci.

わたしたちの道のりが不確実で、転倒の痕跡を残しても、いつくしみ深い神はわたしたちを立ち上がらせるために手を差し伸べてくださいます。

 

2月28日

La preghiera è la chiave che apre il cuore misericordioso di Dio.
祈りは、神の慈しみの心を開ける鍵です。

 

Francesco@Pontefix_com

 

〜•〜·〜·〜·〜

 

パパ様は、イタリアの雑誌インタビューで、人々に寄添うことの大切さについて語られた。

 

パパ様がインタビューを受けた雑誌「スカルプ・デ・テニス」は、ホームレスや社会的に疎外された人々の支援を目的としている。

 

インタビューの中でパパ様は、この雑誌の名前「スカルプ・デ・テニス」(テニス・シューズ)にかけて、「他人の靴に自分の足を合わせるのは、容易なことではありません」と述べ、エゴイズムの奴隷となり、人々の苦しみに寄り添えず、言葉だけで終わってしまうわたしたちは、「他人の靴を履くことの大変さを学ばなければなりません」と話している。困窮した人にただお金をあげればよいというのではなく、その人の目を見つめ、手に触れる態度が重要と話された。

 

また、ヨーロッパに流入する移民についてパパ様は、これらの人々は戦争と飢餓から逃れてきたのであり、移住し、受容され、支援される権利を持っていると述べつつ、移民の受け入れは、受容可能な数に慎重である必要があるが、一番大切なことは社会に統合する過程にあると強調された。

 

 

 

25日前

愚痴は言いたく無いけれど、はっきりいって今日は愚痴を吐き出すので、うっ!と思う方は、この場でスルーしてください。笑

 

〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜•〜

 

 

 

普段、ミサで聖歌を歌っているのだから、聖歌隊に入るのも同じこと。週1くらいの練習ならなんとかなるだろうと思って入ったが、気苦労は絶え無い。練習の日程を担当シスターがSMSで回しているが、必ずしも全員に回しているわけではないからフォローしてくれる?と言われたので、whatsAppでグループを作成し、一斉に回すことにした。そうした途端に、メンバーの大半であるお年寄りたちは、画像やらわけわからない映像を添付し始めたからたまらない!あちゃ〜、どうしよう?と思っていたら、大学生のキャーラが「ここは、連絡を回す場なので、余計なことは載せないように!」とバシッと書いてくれた。ほっ...

 

それでも、なぜか勝手にグループの名前を変えようとしたり、グループ画像を勝手につけようと何か企てていて失敗する人がいるようで、そのメッセージが出てくる。何してるんだあ?苦笑。挙句の果てにグループから出てしまって戻れなくなったから、なんとかしてくれと言ってくるものありけり...。なんでこんなに手がかかるんだ???

 

この数ヶ月聖歌の選曲をするようになり、文句を言われることも多い中、なんとか私の立場も周りに浸透してきたようだ。毎週、ミサの間中、次は(聖歌集)何番だ?と聞いてくるものが多く、結局、典礼の順番に聖歌の番号を書いた用紙をミサ当日までに準備することに...

 

ところで、昨日、オラトリオ関係者の会議があり、私たちのミッション、そして問題点及び、挑むべきポイントについて話し合いが行われた。喜びをもって、人に喜びを与える奉仕とはとても思えず、どちらかというと、引き気味。しかし、いかに意味合いを見つけ、また福音を宣べ伝えていくか。重い頭と心を抱えながら、今日、月曜日のオラトリオの奉仕を迎えた。オラトリオの60-70%が外国人。宗教も様々。そのほとんどが男子で、言葉の悪さはピカ一。もうミラノのブロンクスと化している。警察に見張りをつけさせていない分、まだマシだが、時間の問題か...と思うことさえある。

 

そして、今日のサッカーコートでもいざこざが勃発。「ルール守れないんなら、出て行け〜!」叫ぶがシーン。もう舐められたもんである。司祭を呼びにいくかどうするか?と思ったが、今回はこれまた外国人ではあるが、我がパロッキアに所属する高校生たちが、一応理性を抑えつつ対応していたようなので、その場を離れた。

 

が、ふと見ると、コートの端に、ベビーカーに乗った小さな女の子がいるではないか?「誰なの〜?この子は?」というと、中学生になるかならないアサードが「僕の妹!」というではないか。確かに君の子供には思えないけどね、なんでこんなところ連れてきているのよ〜。親は心配ではないのだろうか?サッカーのコート内は絶対ダメ。もしボールでも当たったらどうなるの?というと、じゃあT子、外に出してみててくれる?という。はあ?私はベビーシッターじゃないし、オラトリオ全体を見回ってるからダメ。といったのだが、いきなり雨が降り出して来たではないか!仕方なく、今日だけだからね!といって、地下の室内へ連れて行った。中へ入っても私は書類作りに追われ、子供をあやしている時間はない。近くに座っていると、やたら、「あー、あー」といって声をかけてくる。Itamaで乳幼児を見ていて、懐かしいなと思って、彼女に近づくと手を伸ばしてきて、私の頬に手を触れてきたではないか?あまりにも人見知りしないから驚いた。ちょっとあやしていたら、今度は思い切りは頬を叩かれた。この子にもおちょくられたか!

 

また、空手の稽古とは別枠で,あまりにも希望者が多かったので、空手に関わる簡単な日本語を3月から教えることになった。まあ、簡単なことだけね、ということで、いつも「ついで」のつもりで受けたのはいいが、初めだけ師範より案内状を送付してもらい、あとは、私の方で準備しようと思ったが、返事もないのに、やる気満々な人。まだ始まってないのに、先週は行けなくて、ごめん!と言ってくるものあり。はあ?本当に蓋をあけてみないとどうなるのか全くわからない。必要以上に準備して、滑るのも嫌なので、無理はしないつもりだが、どうなることやら...である。

 

蟻地獄は、地味で目立たない虫だが、「砂の魔術師」と呼ばれているようだ。

 

虫そのものも蟻地獄と呼ばれるが、蟻地獄が作った鉢状の穴自体もそう呼ばれる。またそこから苦しくて抜け出せない状況のことの例えでもあるが、私は、蟻地獄か?それともそこからはい上がれない虫なのか...

 

もがくほど術中におちる蟻地獄

蟻地獄落としたつもりが私も落ちる?

 

26日前

 

イタリア語でSettimana Bianca。「白い週」と書くが、「スキーウィーク」のことをいう。

 

決して、国民の祝日でもなんでもないが、1週間前後スキーに行く人が多い。アメリカンやインターナショナルスクールだったりすると「スキーウィーク」と称し、学校自体が休みになるところも多いが、国公立はさすがにそういうところはないが、前もって学校へ「登校」の有無の意思表示を提出させられる時もあったな。場合によっては、授業にならないからだ。苦笑 ちなみに、次男は今週は、遠足とボーリング大会が2度もある。映画をみる時間帯もあるそうだ。たまん無いね!

 

大抵このスキーウィークは、カルネヴァーレの連休と重なったりするが、カルネヴァーレの時期は、毎年移動するが、今年は今週の土曜日が最終日。長男、次男の学校は今週、木金曜日が休み。迷惑だわ~。笑 いい加減、今年はもう仮装しないよね?と一応次男に聞くと、「いや、するよ。スプレー買って髪の毛の色を変えようと思って。」という。ええ?なんで~?!と思ったが、以前、友達にブロンド、茶色に、赤などのかつらを借りてかぶったことがあるが、アフロなんぞ被ろうものなら、思い切り、人格も変わってしまう。あれは不思議だ...しかし、癖になりそう。爆...

 

子供が小さい頃は、カルネヴァーレの衣装や街中に繰り出すことに気合をいれて企画していたが、子供が成長し、そういうこともなくなると寂しくなるわ。

 

そうこう言っているうちに、四旬節。気を引き締めていかなくっちゃ。

26日前

 

2月26日は父の80歳の誕生日。傘寿のお祝いである。

 

孔子の人生観は70歳までしかない。

「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」

 

自分の思うことすべてが、真理にかない、思うがままの行いをとっても自然の法則から外れることのない、悟りの究極を体得したことを意味するけれど、80歳はどうなのだろうか?

 

ところで、父が心筋梗塞で倒れ、危篤だと母から連絡が入り、次男だけを連れて飛んで帰った。一時は家族を呼んでくださいと言われていたようだが、集中治療室から一般病棟へ移動し、73歳を迎え、「誕生日だったんだな・・・」としみじみと思い出していた姿が脳裏に焼きついている。あれから早いもので7年。2月に入ると、誕生日を越えられるか?常に心にざわざわ感を持って過ごしてしまう。

 

ところで、昨日、同じアパートに住んでおられたおじいちゃまが90歳の誕生日を目前にお亡くなりになられ、葬儀に参列してきた。娘の孫は、我が家の子供達と同じモンテッソーリに通っていたので、顔見知りではある。葬儀でのお説教では、亡くなられた方の人生と家族愛が語られ、式の最後には、前記娘の父親に対する感謝の手紙が、孫によって朗読された。愛し、愛され、また与え、与えられれる人生であり、最後に感謝を述べられ、涙を誘うものではあったが、人生の幕を閉じるのには、理想的だな、ふと思った。

 

以前も書いたものだが、一人の人間が生まれるためには、両親が必要である。その両親が生まれるためには、それぞれの両親4人が必要である。そのようにたどっていき、十代さかのぼるならば1000人の親が必要である。二十代さかのぼるならば100万人の親が必要なんだそう。そのなかのたった一人の親が欠けても、『』は存在しない。私達の命は奇跡の命ではないだろうか? 

よく子供達は「好きで生まれてきたわけじゃない」と憎たらしいことを口にし、傷つけられる。けれど、親になってはじめてわかったこと。それは、やはり人が生まれてくる意味というのは、自分の存在が周りの人たちから喜ばれることなんじゃないだろうか、と。 自分の親を人間として受け入れがたいという人もいるかもしれない。けれど神様は、その親に私たちを預けられた。

 

今朝、母経由で、父にメッセージは送っておいたが、明日にでも電話してみよう。

 

お父さん、80歳おめでとう。そして、いつもありがとう。

 

 

http://blog.livedoor.jp/s_sofia1317/archives/2010-02.html

ミラノの日常 第2弾

作者:ミラノのそふぃあ

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで19年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

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